何やら出かける準備をしているので、どこか行くんですか?と尋ねてみる。そうしたら、二人いるうちの片方が仕事だようと答えた。
「……し、仕事ですか」
「あ、言っとくけど強盗じゃないからねえ?」
「えっ!? ……あ、いや、そんなつもりは……!」
「ふふ、バレた!って顔に書いてあるよう。アリスは正直者だねえ」
「えええええ」
慌てて顔を覆って、何も言わないもう一人の人物の方に目を向ける。あ、よかったこっち見てない! 心底安堵して息をつく。そうしたら、今話していた方の彼がくすくすと笑った。そんなにびくびくしなくってもいいのに、と小さく呟かれる。
「……と、ところで眠りネズミさ……じゃなくて、眠りネズミ」
「うん、なあに?」
「二人がお仕事に行ってる間、私どこで何やってたらいいんでしょ……いいの?」
「あー、……うーんと、どうしようかあ、帽子屋」
「連れて行く」
「……えっ?!」
「連れてくの?」
「逃げられたら適わないからな」
「あ、危なくないんですか……?」
「ええと、危ないような、危なくないような?」
「えええええ」
「俺達の仕事はスイーパーだ。黙っていれば貴方に危険は及ばない」
「す……?」
「スイーパー、掃除屋のことだよう」
「……え、二人は清掃員なんですか?」
「うん、まあ、そんな感じだねえ」
思わず、目をまるくした。眠りネズミはともかくとして、帽子屋さんの方は普通に銃とか持っていたし、とても一般人には見えなかったのだけれど。……まさか清掃員とは、なんて平和的な職業か。おかげで、少しだけ親近感が湧いた。そういえば眠りネズミだって、帽子屋は根は悪いやつじゃないって言っていたし。きっと、少しだけ出会い方を間違えただけだ。絶対そうだ。むしろそうであれ!
「そろそろ出るぞ。仕事の時間だ」
「うん。じゃあ行こうかあ、アリス」
「あ、はいっ!」
*
──まあ結局、その期待は脆くも打ち砕かれたわけだけれど。
「……こ、これのどこが清掃員……?!」
私がこぼしたその嘆きは、見知らぬ男のひとたちの悲鳴によって敢えなくかき消された。
ぎやあああ、という野太い声。続く銃声。悲鳴が徐々に増えていく。とてもじゃないけど、目なんて開けていられなかった。だってもろに聞こえてくるのだ。こう、銃弾が命中する音だとか、ナイフが空を切る音、肉を裂く音刺さる音、そういうものが、もろに。耳を塞いでもどうにもならないそれを、実際に目にしてしまったらまず間違いなく卒倒する自信がある。わ、私スプラッタとかグロテスク系は苦手なのに……!
──いいか、貴方はここから1ミリたりとて動くな。死にたくなければな。
この戦いが始まる前に、高く積まれた箱の影を指差した帽子屋さんにそう言われた。あれはこういうことだったのか。耳に手を当てて、目をかたく瞑り、指示された場所でしゃがみ込んでちいさく縮こまる。あああもう早く終わって。というか、なんで私がこんな目に合わなきゃならないの。なんでこんな怖い思いをしなきゃならないの! もうほんとにいやだ。帰りたい。こんなの全部全部チェシャ猫のせいだ。チェシャ猫が一緒にいてくれればこんな目にも合わなくてすんだかもしれないのに。大体ほんとにどのへんが天使なのあのひと?! 悪魔じゃん! 今この状況を見てみてもどうやったって悪魔でしかないじゃん! なのにあんな変なアドバイスなんかして、チェシャ猫のやつなに考えて──……
「……オイ女ァ、テメェ、奴らのツレか?」
声が、降ってきた。
帽子屋さんのじゃない。眠りネズミのでもない。知らない、声。
顔を上げる。そうしたら、肩を真っ赤に染めた男が私を見下ろして笑っていた。不気味に歪んだその口元からは、黄ばんだ歯と暗い虚空が覗いている。あ、前歯折れてる。
「……え、だ、だれ」
「誰でもいいんだよ。悪ィが、ちょっと一緒に来てもらおうか」
「う、わあっ」
腕をものすごい力で掴まれて、引っ張り上げられた。その力に抗いきれずにたたらを踏む。ふらついて前のめりになった私の首もとに、ひんやりしたものが当てられた。抵抗したら、分かるよなァ? 男が告げたその言葉を理解するよりも早く、体ががたがたと震えだす。ナイフだ。ナイフを、当てられている。皮膚に食いこんで、ぴりっと痛んだのをみると、少し切れたかもしれない。……どうしよう、怖い。怖い怖い怖い! 私、まだ死にたくないのに!
「そうだ、大人しくしてりゃあ殺しはしねェさ。……いや、そうでもねーか。あのイカレ頭たちがテメェを見放したらとりあえず死んでもらわなきゃなんねェ。そもそも奴らに人質なんざ通じるか分かったもんじゃねーが、まあ、見殺しにされたらされたで、恨むなら奴らを恨むんだなァ」
「……う、え」
「なんだァ? 泣くのかよ。ったくこれだから女子供は……」
「────人質とるようなやつに比べたら、随分マシだと思うけどなあ」
ごきん、という変な音が聞こえて、次いで悲鳴が大音量で響き渡った。
それと同時に掴まれていた腕が緩んで、ナイフが地面に取り落とされる。慌てて振り払うように逃げだしてから、はじめて男の状況が目に入った。今まで私を拘束していたはずの腕がおかしな方向に曲がっている。ついでに、真っ赤に染まっていた肩にはさらに新しく赤が追加されて、白刃がそこから飛び出していた。
え、え? 訳がわからずクエスチョンマークばかりが頭に浮かぶ。呆気にとられたまま、私は男から少し離れた場所でへたりこんだ。
言葉にならない悲鳴を出し続けるその男に、ぬっと現れた長い足が脳天へと振り上げられる。危ない、と思わず口に出しそうになったのも束の間、ばきん!とものすごい痛そうな音をたてて踵落としがキメられた。うわあ痛い! 白目を剥いて倒れこんだ男の背後から、見覚えのあるカスタードクリームの毛玉が現れる。
「うわあー、よかったあ。怪我はない?アリス」
相変わらずほやほやと笑う彼の顔やら服やらに、細かな赤い染みが散っているのはこの際見えないことにした。眠りネズミ、と名前を呼ぶ。ぼろぼろ出てくる涙は好きなだけ流させてあげよう。だって今回はさすがにしょうがない。しょうがなかった。
*
「あのね、掃除屋っていうのは、お金持ちとかに雇われてああいうことをする……ええと……」
「用心棒」
「そお! 用心棒なんだよう。今回は街の組合に雇われてねえ。最近悪さばっかりしてるチンピラがいるから、どうにか追い出してくれないかって言われて」
「……清掃員だって言ってたじゃないですか」
「悪いやつを追っ払って街をきれいにしてるんだもの。あながち間違ってないよう」
「せ、清掃員はあんなえげつないことしません……!」
「ええー? ……殺してはいないよう?」
「そういうことじゃなくって!」
「俺達がえげつない事をやっていようといなかろうと、貴方には関係ない事だ。仕事に口を出される謂れはない」
「……う」
「だが、不手際で貴方を危険な目に合わせたのは悪かった。それについては謝る」
「……え?」
「そうだよねえ。まさか、まだ動けてその上アリスを人質にとろうとするなんて思ってなかったよう。怖かったよねえ、ごめんねえ」
「あ、い、いえ、そんな……」
「だからこれからは貴方にも身を守る術を持ってもらいたい」
「……は? す、すべ……?」
「武器は持たせられないって帽子屋が言うから、簡単な護身術くらいは教えてあげるねえ」
「ちょっ、ちょっと待って!」
「なあに? ……あ、格闘術はぼくの方が得意だから、先生役は帽子屋じゃなくてぼくだよう?」
「いや、それはいいんですけど! あの、その前に、私が仕事に付いていかないっていう選択肢はないんですか……?」
「無い」
「えええええ」
「逃げられては困ると言ったはずだ。戦闘中に多少邪魔になろうが連れて行くしかないだろう」
「い、今本音出ましたよね?! 正直邪魔だと思ってるんですよね?!」
「それが何だ」
「……う、……うわああああん! 扱いがひどすぎるーっ!」
「泣かないでアリス、帽子屋も悪いやつじゃないんだよう」
「とにかく、貴方が居なければ金時計が動かない事には変わりない。少しでも足を引っ張らない努力をしてくれ」
「(お、鬼いいいいい!!)」
20110308改稿
(20200630再掲)