一方その頃帽子屋たちは


 

 

「……一体何をやっているんだ、あの馬鹿女は」

 

 シルクハットを目深に被ったスーツ姿の男が、小動物あたりなら一瞬で射殺せそうな目でそう吐き捨てた。

 瞬間、身の危険を察知したのか周辺の木々に留まっていた鳥たちがざあっと一斉に飛び立っていく。あーあ、鳥が怯えて逃げちゃったようー、と傍らに立っていた長身の綿毛頭がのんびりとその様子を実況した。

 

「大体何故こうも毎回満足に隠れている事すら出来ないんだあの女は……意味が分からない」

「まあまあ、そんなに怒らなくってもいいじゃない、帽子屋あ」

「怒っているんじゃない意味が分からないと言ってるんだ」

「だからあ、それ完全に怒ってるでしょお?」

「怒ってない!!」

「ほらあ怒ってる。……ていうかね? 箱ごといなくなっちゃったってことはあ、たぶん盗賊の残党に持っていかれちゃったってことなんだと思うんだよねえ。そうなると、それはあいつらを逃がしたぼくらの失態ってことになるわけで、だからアリスに怒るのは筋違いだよう………ね?」

「そんな事は分かってる!!」

 

 尚も殺気立ったまま怒声とそう変わらない返事をしたスーツ男は、苛々とした様子で近くに倒れていたゴロツキを思いきり蹴り上げた。とばっちりを食ったそのゴロツキは、ぐえっ、と潰れたような悲鳴を上げてワンバウントする。

 もおー死んじゃうからやめなよう、とまたしても綿毛頭がのんびりと言った。

 

「チッ………おい貴様」

「うう…」

「貴様らの根城は何処だ」

「うう…」

「うう、じゃ分からん!!」

 

 スーツ男がゴロツキの眉間を蹴ろうと足を振り上げたところで、綿毛頭が今度こそ慌てて制止に入った。

 理由があまりにも理不尽すぎるよう!と眉を八の字にする綿毛頭に対して、スーツ姿の男は、ああ?と苛立たしげに片眉を吊り上げる。

 

「もお、イライラしすぎだってばあ。そんなにアリスが心配?」

「当たり前だ」

「……あれえっ、意外に素直」

「あの女は金時計を動かすために絶対に必要なんだ。他人の手に渡るのも、死なれるのも困る」

「………帽子屋あ」

「何だ」

「アリスを物みたいに言うのやめてよう」

 

 スーツ男が振り向いて綿毛頭の方を見た。

 綿毛頭は、八の字眉なのに怒りを滲ませた顔、という器用なことをしている。その理由が分からず、スーツ男は首を傾げた。

 

「アリスは女の子だよう? ちゃんと心もあるし、こわいとか、うれしいとかも感じるの」

「だからどうした」

「だから、ちゃんと心配してあげて。たぶん今、アリスすごく不安だよ」

 

 スーツ男は、綿毛頭から視線を外すと下らないとでも言いたげに鼻を鳴らす。

 

「そんなのお前がしてやればいい」

「帽子屋、」

「俺にとってあの女は白ウサギに辿り着くためのただの道具だ。それ以上でもそれ以下でもない」

「……」

「それに、あっちも俺にそんな事は求めていないだろう。俺を怖がってるようだからな」

 

 言った後、ほんの僅かに曇った横顔を見て、綿毛頭は、はて、と思った。

 思って何事か口にしようと息を吸った瞬間、それさえも掻き消すような大声が割って入る。

 

 

「HAHAHA!! しかしそれは全く以て自業自得ではないかな、帽子屋!!」

 

 

 ぎょっとして二人が振り返ると、そこには見覚えのある、奇妙な仮面、蛍光ピンクの髪、そして白い燕尾服姿の不審な男が立っていた。

 綿毛頭が目を丸くして言う。

 

「わあっ、三月ウサギじゃないかあ! 久しぶりいー」

「久方ぶりだね眠りネズミ! 相変わらず眠そうで何より!!」

 

 必要以上の大声で話しながら、三月ウサギと呼ばれた仮面男は大股でずかずかと二人へ近付いてくる。

 驚いた様子でそれを凝視していたスーツ男は、言われた言葉をようやく咀嚼して、少し嫌な顔をした。したが、すぐに切り替える。

 

「……丁度良かった。三月ウサギ、お前から情報を買いたかったんだ」

「ああ、勿論いいとも!」

 

 大仰に頷く。

 

「じゃあ早速だが、まず、」

「だが一つだけだ!!」

「………は?」

 

「今回吾輩が売るのは、一つの情報のみ! それ以上は取引しない!!」

 

 高らかにそう宣言した仮面男は、目の前で徐々に鬼の形相を取り戻していくスーツ男に少しも臆さず、またあのおかしな発音で笑った。

 スーツ男は懐から素早く銃を取り出し、仮面男の眉間に突き付け低い声で言う。

 

「……ふざけるな。今までそんな制限なかっただろう」

「今回初めて作ったんだ!! 当たり前さ!!」

「殺すぞ」

「生憎だが君には無理だ! 吾輩が死ねば君はとても困る。そうだろう? 殺せやしないさ!!」

 

 仮面男は自ら額を銃に押し付けるように前のめりになると、両腕を広げて大きく叫んだ。

 

「帽子屋、残念ながらチャンスというのはいつやってくるのか分からない代物だ! そのチャンスがやってきた時、おちおち迷っていたのでは頂けない!! 君が最も優先すべきものは何だ? 君の優先順位の頂点に君臨するものは何だ? 決めたまえ! 君が君の目的を達するために、今何をおいても必要な情報とは何か!! 選ばなければならない時は近付いている!!」

 

 スーツ男が訝しげに眉をひそめた。

 

「また何を訳の分からない事を……」

「いずれ分かるさ! そしてこれは、あくまでもその予行練習に過ぎない!!」

 

 綿毛頭は、ただでさえ下がってしまった眉尻をさらにさらに下げながら、スーツ男を見る。

 仮面男は神出鬼没だ。そしていつも真実しか話さない。その彼が言う予言めいた言葉は、綿毛頭にどこかそわそわとした、不安のような気持ちをもたらしていた。

 

「迷う事なんて何もない」

 

 そんな綿毛頭の思いなどお構いなしに、むしろそれを断ち切るように、スーツ男は言う。

 

「お前が何を言いたいのか知らないが、俺の優先すべきものはもう既に決まっている。その道に迷いはない」

 

 銃を手にしたのとは反対の手を再び懐に突っ込み、乱雑に今度は小さな袋を引っ張り出す。その拍子、じゃらりと金属が触れ合う音がした。

 

「金時計の使い方を聞こうと思っていたが、まず使える状態にないのでは話にならない―――あのアリスとかいう女が何処に連れていかれたか、教えろ」

 

 これが対価だ、と告げて、袋を地面に放り投げる。重い音を立てて着地したそれの口からは、数十枚もの金貨が覗いていた。

 

 三月ウサギは視線だけでそれを見届けると、眉間に銃を突き付けられたまま、にいっと口の端を持ち上げる。

 

「承った!!」

 

 そうして、羽織っていた白い燕尾服の懐から、どうやったらそのサイズのものがそこに収まるのか疑問が浮かぶほど巨大な本を引きずり出した。悠に小さな子どもくらいの大きさはある。

 いつ見ても大きいねえ、と感心している綿毛頭を余所に、仮面男が弾くような手捌きで本を開くと、自動的に物凄い勢いでページがめくれ始めた。めくれる度に舞い上がる風が蛍光ピンクの髪をさらっていく。

 

 そうして数秒後、とあるページに差し掛かった瞬間に、その動きがぴた、と止まった。

 

 

「──北の方角を目指せ。そうしてなるべく街道を沿って進む事。そうすればいずれ彼女とも再会できるだろう」

 

 

 仮面男が、先程とは打って変わった静かな声音で告げる。

 

 しかしながら、そのあまりにも簡潔で漠然とした内容に、スーツ男の眉はひくりと引きつった。

 こっちはそんな占いまがいの情報を聞くために金を支払った訳ではない。一歩間違えば引き金を引いてしまいかねない己の指を制しつつ、スーツ男は努めて冷静に言った。

 

「……おい、俺は居場所を教えろと……」

「言ったところで意味がない!」

「……何?」

「何故なら、彼女は移動しているからだ!!」

 

 言った拍子に、本を勢いよくバタンッと閉じる。その風圧に煽られたスーツ男がまた顔をしかめたが、仮面男はどこ吹く風で笑っている。

 本は、どういう仕組みなのか自ら仮面男の懐に飛び込んでいった。あれって生きてるのかなあ、と綿毛頭がのんびり首を傾げて、続けざまに仮面男に問うた。

 

「ええと、それはつまり、アリスはまだ運ばれてるってこと?」

「否!!」

「………まさか、盗賊たちから逃げてるの?」

「まさしく!!」

 

 仮面男の返答に、綿毛頭の表情がいつになく厳しいものへと変わった。スーツ男に顔を向ける。

 

「帽子屋、はやく探しに行った方がいい。奴らに先に見つかったらアリスの身が危ないよう」

「そうだな」

 

 スーツ男は手にしていた銃をようやくしまうと、荷物類を担ぎ直している綿毛頭を一瞥して歩き出した。

 そして仮面男の脇をすり抜ける際、低く呟きを落としていく。

 

「……今度会った時は、必ず金時計の使用法を教えてもらうぞ」

 

 離れていくその背中を綿毛頭が追い掛け、ふと仮面男を振り返ってじゃあまたねえ、とほにゃほにゃ笑いながら手を振った。

 仮面男はしっかりそれに応えると、彼らの姿が米粒ほどになるまで見送ってから、恭しく一礼してみせた。

 

「またのご利用、お待ちしております」

 

 

 

 

20130314

(20200630再掲)