かつかつかつ、
かつかつかつかつ、
少し離れた所で、すらりと長い指が頻りにテーブルを叩いている。
……かれこれ1時間ほどこの状態が続いている最中、どうもみなさんご機嫌よう。その間ずっと部屋の隅にある椅子に座って出来るだけ相手を刺激しないように縮こまっている私の胃は、もう限界に近いです。
何がどうしてこうなったのか甚だ疑問なのだけれど、この部屋には私と帽子屋さんの二人っきりしか残されていなかった。
とりあえず、怖すぎるのでせめて目だけは合わせないようにしようと心に決めたものの、さっきから俯きすぎてだんだん首が痛くなってきている。もちろん、そんな私の苦労を知る由もない帽子屋さんは、さっきから黙りこくったまま苛立たしげに指でテーブルを叩き続けていた。
おそらく、貧乏揺すりみたいなものなのだろう。けれどそういう仕草ひとつ取っても、私を怯えさせる一因になっているのだとそろそろ気付いてくれないだろうか。もし気付いていてやっているとしたら間違いなく彼は悪魔なのだけれど、元が短気なんだよねえ、という眠りネズミの言葉を、私はとりあえず信じることにしている。
………というか、そうだ、よくよく考えたらこんな状況に立たされているのも、いつもなら緩衝材の役割を果たしてくれている眠りネズミが外出してしまって、ここにいないのが悪いのだ!
行かないで!とそれはもう必死の形相で引き止めたのだけれど、こないだの仕事の報酬受け取りに行かなきゃならないんだよう、ごめんねえ、なんてほにゃっと笑われてしまったら、もうどうにも言い返しようがなくなってしまう。加えて彼の言うところによれば、どうやら依頼主である組合長さんが帽子屋さんをちょっと、……いやかなり、怖がっている節があるようで、報酬の受け渡しには是非眠りネズミを!とわざわざ指名してきたらしいのだ。
(……ああ、その気持ち、すごくわかる)
そう共感してしまった結果、組合長さんの安息と引き換えに、私が生け贄にされている訳だけれど。
眠りネズミが出掛けて暫くは、帽子屋さんは至極普通に銃の手入れをしていた(でもこの時点ですでに怖い)のだけれど、それが一通り終わったらしい頃から徐々に貧乏揺すりが始まったのだ。多分、手持ち無沙汰になったのだろう。
帽子屋さんの座っている椅子からは割と距離があるはずの私のところにすらその振動が伝わってくるようで、僅かでも動こうものなら一瞬のうちに撃ち殺されるんじゃないかと徐々に不安になってくる。……いや、もうほんとに冗談じゃなく撃たれそう。今眠りネズミいないし。
………あれ? もしかしてわたし、思ったより絶対絶命っぽい……?
「────おい」
「ヒッ!」
思わず飛び出た悲鳴を回収するように、慌てて両手で口元を覆った。
かち合った視線の先、僅かに覗いた帽子屋さんの目尻がひくりと動く。まずい、イラッとさせた!
その瞬間に噴き出した汗の量はおもしろいほどに尋常じゃなかった。それはもう、リアルにぶわっっっと。
「……金時計」
「……はい?」
「金時計を貸せ」
傍らのテーブルに頬杖をついて、帽子屋さんがじっと私を見つめる。訳がわからなかったけれど、とりあえず言うことを聞いておかないとまずそうだというのは理解して、おずおずとポケットから金時計を取り出した。そして、これまたおずおずと椅子から立ち上がって帽子屋さんに近付く。差し出した両手は、我ながら可哀想なくらい震えていた。
「ど、どうぞ」
「座れ」
「……え」
手渡したと同時に着席を促される、けれど、よりにもよってその指定席は帽子屋さんの真正面の椅子だった。……なんだなんだ、尋問? 私尋問されるの?
体中の毛穴という毛穴が大変なことになっているのを尻目に、帽子屋さんは苛立たしげに語気を強める。「──早く座れ」
「あっ、す、すみません……」
「貴方に聞きたい事があるんだが」
「……なんでしょうか?」
「この金時計の使い方を知っているか?」
………使い方?
完全に止まってしまっている針を見下ろして、数秒固まる。
使い方って、そんなの時間を確認する以外になにがあると言うのだろう。
答えに窮して黙りこくっていると、念を押すように、知らないのかと帽子屋さんが訊いた。
「あの……はい、よくわからない、です」
あなたの質問自体も。
そんな意味合いも込めて言ったら、隠す気もなく舌打ちをされた。しかも小さく、使えない女だな、とか聞こえた気がする。……え、空耳? いや、ええそうですよね、空耳ですよね、わかってます。多少図太くなんないとこんな空間じゃ生きていけない。
「……仕方がないな。やはり情報屋の奴を探すしかないか」
「………情報屋?」
聞きなれない単語に思わずぽろっと問い返すと、帽子屋さんは煩わしげにまたかつかつとテーブルを数回叩いた。すすすすいません!と条件反射で謝る。……くそう、こんな反射行動いやだ。
「……情報屋は、その名の通り情報を売買する連中の事だ。貴方が金時計を持っているという情報も馴染みの──三月ウサギという情報屋から買った」
「えっ!?」
「そいつの情報は信頼出来る。ただ神出鬼没で探すのが面倒なんだ。……だから貴女が使い方を知っていてくれれば、それが一番手っ取り早かった」
まあ知らなかったがな、と大した感慨もなく溜め息をついた帽子屋さんは、やがて興味をなくしたように視線を窓の向こうへやってしまった。
その様子に、一先ずは緊張感から解放されて、自分でも気付かないうちにほっと息をついていた。いつの間にか浮かんでいた脂汗を手の甲で拭う。相当緊張していたらしい、口の中もからからに渇いていた。
そろりと正面の帽子屋さんを盗み見ると、奇跡的なタイミングでこちらを向いた視線とばちんと音でもしそうな勢いでぶつかる。うわあ。うっかり出かかった悲鳴を慌てて引っ込めた。
「……何だ」
「いえっ! や、あの……な、なんでもありません」
さっきの会話で、意外と言葉通じるんだな、とか心の片隅で思ってました。……なんて言えるはずもなく、私はまた顔を俯ける。
「……そのびくびくした態度はやめろ。苛々する」
「す、すいません……」
「いちいち謝るのもだ」
「すいま、……あっすいませ、……あっ、す、う、ううー」
「……わざとか」
「違います違います!」
一段と声が低くなった帽子屋さんに大慌てで釈明する。すいませんは日本人のアイデンティティーなんです!と言って果たして通用するだろうか。……いや、しないだろうな。そんなの撃たれておしまいだ、絶対。
「あ、の」
「何だ」
「いや、その、こ、これでほんとに最後にします。……すいません」
へこへこと頭を下げると、帽子屋さんが浅く息を吐くのが聞こえた。呆れられたんだろうか。どうしたらいいのか分からなかったので、しばらくそのままの体勢でじっとしていると、頭まで下げなくていい、と鬱陶しそうな声で言われる。
おそるおそる顔を上げたら、そこにはその声と寸分違わない表情があった。
「……貴方と話していると、無駄に疲れる」
それはこっちのセリフだ馬鹿野郎、とはさすがに口が裂けても言えなかった。
20110419
20130905改訂(20200630再掲)