箱入り娘になりました


 

 

 ツイてないときって、とことんツイてないもんなんだなあとしみじみ思う。

 がたがたと揺れる狭い空間の中、私はもう何度目になるか分からない命の危機を感じていた。

 

 

 

 依頼されていた仕事は終えたから、とアジトを引き払って別の街へ向かう旨を帽子屋さんの口から聞かされたのが、昨日の夜の話。

 いきなりすぎて訳の分からない私に比べて、いつものことなのか、眠りネズミはむにゃむにゃ言いながらも了解していた。

 

 荷物をまとめろ明日の朝早くには発つ、と一方的に告げられて、というか私荷物らしい荷物なんて持ってないんですけどと言う暇もなく、明朝。

 太陽が昇る前に叩き起こされて(しかも帽子屋さん直々のお越しだったので一瞬で目が覚めた)主に眠りネズミあたりがぽやぽやと寝ぼけ眼のまま、追い立てられるようにアジトを出た。

 いつもこんなに慌ただしいの?と隣で前後に揺れている長身に話しかけると、まず三月ウサギを探すっていう当面の目的が出来たからねえ、張りきってるんだよう、と思ったより明瞭な答えが返った。

 

 帽子屋さんが手配したらしい馬車の荷台に乗り込んで、がたごとがたごと、道を行く。

 途中までは至極のどかな旅路だった。徐々に昇っていく太陽を見ながら、水筒に紅茶いれてくればよかったねえ、なんてほにゃほにゃと眠りネズミが言って、ピクニックじゃないんだからやめろ、と帽子屋さんが切り捨てる。ひらひらと蝶が飛んでいるのを見た。時おり馬がぶるぶる唸るのも聞いた。

 

 のどかだ。

 

 この世界に来てから1、2を争うんじゃないかってくらい、のどかな時間だった。

 まあ、それは案の定、長くは続かなかったのだけれど。

 

 

 

 

「……おーい、」

 

 小さく、声を出してみる。

 もちろん反応なんてない。

 がたがたと揺れるその音でかき消されるくらいの声だったから、そんなのは十分承知済みだ。でも、これ以上大きな声は流石に出す勇気がなかった。

 

 ──なにせ今、私、誘拐されてるもんで。

 

 ………なんでそうなった、っていうのはかく言う私が一番聞きたい。

 

 

 

 あれは本当に突然だった。

 今までがたごとがたごとゆっくり進んでいた馬車が、唐突に甲高い馬の嘶きと共に止まって、傍らの眠りネズミが私を庇うように素早く覆い被さったのだ。

 

 「帽子屋」

 「ああ、奴等だ」

 

 奴等って誰だ!

 二人はすぐに状況を把握したみたいで、帽子屋さんの方はさっさとジャケットの懐からゴテゴテした銃を二丁取り出した。

 ………えっ? いや、それ明らかに懐に収納できるサイズのものじゃないですよね? 四次元ポケット? 四次元ポケットついてるのそのジャケット?

 状況に混乱しすぎてどうでもいい疑問が頭を駆けめぐる中、私に覆い被さっていた眠りネズミが、あー、アリスどうしよっかあ、とのんびりとした声で尋ねた。

 すると、ちらりとだけこっちを一瞥した帽子屋さんが、吐き捨てるように言う。

 

「そこの箱にでも詰めておけ」

 

 オイまじでか。

 真っ先に浮かんだ言葉は、それだった。

 

 ごめんねえ、危ないからここで待ってて、と眠りネズミによって荷台にあった木箱へ収納されてから、10分くらい経った頃だろうか。

 大人ひとりがぎりぎり入れる程度の箱の中は、やっぱり相当居心地が悪い。ただ、うすい木の板越しに外から聞こえてくるのは、思い出すのもそら恐ろしい銃声や悲鳴で。

 ああああやっぱりドンパチやらかしてるんだ……!と頭を抱えつつ、尚更ぎゅっと縮こまる。でも、体育座りで深く俯かなきゃならないこの体勢は結構辛くて、頼むから早く終わってくれ!と強く目を瞑った、その時だった。

 

 がたん、

 

 持ち上げられたのだ、箱が。

 

 うわっ重っ、と知らない男の声がしたので、帽子屋さんでも眠りネズミでもない誰かが、私に気付いたのかもしれない。

 前回のトラウマが甦って、体が硬直した。またあんな怖い思いをするのだろうか。どうしよう、どうしようどうしよう、助けて眠りネズミ……!

 

「……い、早くずらかるぞ!」

「あっ、おい! これ運ぶの手伝ってくれよ」

「あぁ?」

「一つでもなんか掻っ払わないと割に合わねぇだろ? これかなり重いんだよ。良いもん入ってそうじゃねぇ?」

 

 ……は、入ってないですよおおおお!

 

「マジかよ」

 

 いやいや入ってるの冴えない女子高生ですよ! 中見たら絶対がっかりしますよ!

 

「…よし。じゃあとりあえずそれ持ってずらかるぞ」

「おう」

 

 うそおおおおおお!

 

 

 

 ──で、今に至る。

 

 未だ箱に入れられたままえっさえっさと運ばれているらしく、がたがたと揺れる中の居心地は最悪だった。私乗り物には強いはずなんだけど、さ、流石にこれは……酔う……

 おえっ、と若干えずきながらも吐くわけにはいくまいと必死に耐えていたら、しばらくして、ゆっくりと安定したところに降ろされた。どうやら目的地に着いたらしい。

 

「ったくよぉ、何なんだよあいつら! マジ化けモンじゃねぇのか」

「オニみてぇに強かったよなあ…」

「あんなの襲った所で百害あって一利なしだぜ……盗賊ってのも楽じゃねぇなチクショー」

「まっいいじゃねぇか、これ頂いてきたんだしよ!」

 

 バンバンと箱の側面を叩かれて、びくっと肩が震える。

 ……とうぞく、ってことは、あれか。金品を奪うために、私たちの馬車を襲撃したと、そういうことだろうか。

 どうにもしっかり返り討ちにあっているあたりちょっと可哀想な気もするけれど、だからと言って金品でもなんでもない私を連れてくるのはやめてほしい。いや中身知らないんだから仕方ないのかもしれないけど!

 

 ……これ、中身が私だってバレたらどうなるんだろう、一体。

 

「とにかく、今回の件はボスに報告しなきゃなんねぇだろ。俺ら以外に戻ってきた奴いなさそうだしな」

「全員やられたのかよ……マジ怖ぇー」

「二度と関わるのは御免だぜ、ったく」

 

 ぶつぶつと文句を言いながら、男たちの声と足音が遠ざかる。

 

 やがて完全に聞こえなくなった時点で、私はようやく安堵の息をついた。

 

(た、助かったああああ……!)

 

 いきなり箱を開けられでもしたらどうしようかと思っていたけれど、ひとまずはどこかに行ってくれたらしい。

 ただ、ボスに報告とかなんとか言っていたので、次に彼らが帰ってきたときがおそらく運の尽きだ。それまでにはなんとかしてここを脱出しなくては。

 

 その前に、とりあえずこの箱から出ようと上蓋を押し上げた────ら、

 

 

「おや、娘が入っているではないか」

 

 

 開けられた、外から。

 

 

「────ギヤアアアアアアアア!!」

「おお」

「ひえええええええ────!!」

「威勢が良いな、娘」

 

 突然外の光を浴びて目が眩んだ。

 まともに瞼も上げられないけれど、とにかく叫び声だけは際限なく出る。体を今まで以上にさらに小さく縮こませて、頭を抱えなんとか守りの体勢を取った。

 

 ……どどどどどうしようどうしようどうしようどうしよう! まさかこんなに早く戻ってくるなんて思わなかっ……ていうかなに、さっきのフェイント?! 行ったとみせかけて本当は行ってませんでしたとかいうフェイント?! おのれ、なんて卑怯なあああ!!

 

「娘」

「うわあああああああ!!」

「……ふむ、元気なのは結構だが彼奴等にバレては厄介だな。少し黙れ」

 

 いきなり上から顎のあたりをガッと掬いあげられて、もう一方の腕が私の口を塞ぐ。こう言うとなんだかやさしい感じだけど実際はヘッドロックをかけられているに等しい。ちょっ、ギブギブ! 首が大変な曲がり方してるから!

 あまりの苦しさにばしばしとそのひとの腕を叩いて、ようやく光に慣れてきた目がなんとか真上にある顔を視認し始めた。

 

「しかし賊が人拐いまでやっているとは思わなんだぞ。怖かったろう、娘。大事ないか」

「む、むぐー!(いや、あなたのせいで大事に至りそうです)」

「見た所外傷はないようだな。そなた、何処から拐かされてきたのだ?」

「むごー!(その前に手を放してください)」

「……ふむ。何を言っているか全く分からんぞ、娘」

「むがー!(だから放さないと喋れないんだよばか!)」

 

 殺気だった視線を送ると、ようやく私の意図に気付いてくれたらしいそのひとが、おお、これはすまない、と笑いながらパッと手を放した。笑い事じゃないわ!

 

 一気に入ってきた酸素に喘ぎつつ、ぜえはあと息をつく。

 ちらりと傍らに立つそのひとを見上げれば、浅黒い肌と肩まで伸びたプラチナブロンドの髪が目を引いた。

 

「で、娘。そなた名は?」

「えっ? あ、ええーっと…………」

「うむ」

「あのー………えー、……あ、アリス……です」

 

 もしかしたら、またチェシャ猫が出てきて強烈なアリス推しを始めるのではないかと少し期待して、周囲を窺ってみたのだけれど。

 残念ながらあの夜色の外套は現れず、なにか釈然としないまま仕方なくアリスと名乗った。……もうこっちではこれで通してしまおう。しばらくさようなら私の本名……

 

「アリス?」

「あ、はいっ?」

「そうか、そなたが……」

 

 トパーズみたいな綺麗な色をした瞳が、ぱちりと見開かれる。それから直ぐに何事か呟くと、するりと顎を一撫でしてから、納得したように頷いた。

 訳が分からずおどおどする私に、一先ず其処から出るといい、とそのひとが笑う。……そういえば、私まだ箱に入ったままだった。

 ずっと体を丸めていたせいでぎしぎし軋む体に四苦八苦しながら、慌てて箱から這い出る。よろけそうになるのを支えてもらいつつ、なんとか地面に着地した。

 

「あ、ありがとうございます…」

「礼には及ばん」

「……あのー、すいませんけど、あなたは……?」

「名か? それなら、余に名はない。が、皆はオーサマと呼ぶよ。そなたも好きに呼ぶといい」

「お、オーサマ?……さん?」

「その名が良いなら、そのように」

 

 言うと、そのひとはくすりと笑った。目を細めて、口角だけをつり上げるような笑い方。

 思わず、頬にぐわああっと熱が集まる。なんか改めて見たら、す、すごいかっこいいぞこの人……!

 

 私が一人で狼狽えていると、さて、では行くか、と頭上から声が降ってくる。それにつられて顔を上げれば、そのひとはもう既に踵を返しているところだった。

 

「えっ、ちょ、どこに……」

「そなた、賊に捕まったのだろう。付いて来ると良い、逃がしてやる」

「え」

 

 徐に左手を差し出されて、その手と顔とを見比べる。

 

 ついて行っても、いいのだろうか。

 

 どうやらさっきの盗賊の仲間ではないようだけれど、なかなか怪しいことに変わりはないし、これ以上変なことに巻き込まれると本格的に戻れなくなる可能性も出てくる。

 

 ………でも、戻るってどこに?

 

 眠りネズミたちのところだろうか。

 だけどそれだって別に一緒にいたくていた訳じゃないし。そもそも私拉致されて軟禁までされてた訳だし……いや、まあ確かにチェシャ猫は帽子屋さんたちと一緒にいろみたいな感じで言ってた気はするけれど。

 もういっそこの世界ってものすごく物騒そうだからある種のボディガードだと思って割りきった方がいいのかなあ………あ、でも帽子屋さんも大概物騒だった。殺されかけたこともあったんだった。

 

 ………いや、いやいやいや! でも金時計は私が持ってるんだから二人とも探してるだろうし!

 それで帰らなかったら後が怖いし!

 

 ……。

 ………。

 ………時計がないと探してももらえない私って一体……

 

 

「アリス」

「あっ、はい!」

「早くおいで」

 

 ぐっと息を詰めて、おずおずと、その手を取る。

 

 ついて行っていいのかは分からないけれど、とりあえずここから脱出しないことにはどうしようもない。

 私は覚悟を決めるようにひとつ大きく息を吐くと、よろしくお願いします、と小さく呟いた。

 

 

 

 

20120905

(20200630再掲)