第1話のダイジェスト的な


 

 本多籐也は5年前、誕生日当日に突如として異世界に飛ばされるという特異な経験をしていた。

 飛ばされた先では救世主さまと持て囃され、国王や神官たちに世界を救えと強要されるも、籐也少年、当時若干11歳である。自分は救世主なのだからと調子に乗っては周りを振り回し、自分には無理だと泣き喚いては周りを振り回し、何かにつけて周囲の人々を振り回しまくった。

 わがまま放題だったせいで共に旅する仲間たちとは軋轢が生まれることもしばしばだったが、やはり子どもとは成長する生きもので、世界を救う旅の道程で籐也少年もさまざまなことを経験し、精神的に成長していった。仲間たちもまたそんな彼を認め、支えていくようになる。

 やがてとうとう世界を救うことに成功した籐也少年は、仲間たちに惜しまれながらも元の世界に戻っていった───

 

 

 

 

 それから、5年。

 籐也少年は後悔していた。どうして自分は、あのとき元の世界に戻ってきてしまったのかと。

 家族や友だちが待っているからと帰ってきた世界だったが、いざ帰ってきてみればどうと言うこともない、実にくだらない世界であった。漫然と生き、異性や娯楽の話ばかりしている同世代のガキたち。イイ歳して足の引っ張り合いばかりのみっともない大人たち。その中に放り込まれて、日々無気力に生きている、自分。

 あの世界では、みんなが必死に生きていた。世界の、国の、大切なだれかのことを真剣に考えて、誰もが身を切るように一瞬を駆け抜けていた。

 あそこに戻りたい。この世界はひどく居心地が悪かった。籐也が生まれたのは確かにこの世界のはずなのに、自分ひとりだけがぽっかりと浮いているような、そういう違和感がこの5年間ずっとあった。

 かえりたい。

 行かないでと泣いてくれた大好きだった女の子や、離れてもずっと親友だと言ってくれた年上の友人、寄ってたかって頭を撫で回したり抱きつぶしたり頬にキスしたりしてきた大切な仲間たち、彼らが待つあの世界に、かえりたい。

 

(……僕のいるべき世界は、ここじゃない)

 

 そう強く思った次の瞬間、籐也は懐かしきあの世界───コメディアの地を踏み締めていた。

 

 

 

(中略)

 

 

 

「帰れ。トーヤ」

 

 なんで。

 籐也は、言葉を失くした。彼からそんな言葉が出るなど思いもしなかったのだ。

 

「なんで……なんでそんなこと言うんだよロイ……!」

「……お前はこの世界の人間じゃない。自分の生まれた世界へ帰って、そこで生きるのが自然だろう」

「あそこは僕の居場所じゃない! 僕の居場所はここなんだ!」

「ここにはもうお前の居場所はない」

 

 ひゅっと息を呑む。どういうことだと瞳を揺らすと、ロイは苦々しい顔で目を逸らした。

 

「俺達は5年前のあの日、お前とはもう今生の別れだと思って送り出したんだ。俺達にとって、お前はもう死んだのと同じだ。死んだ人間の居場所なんてない」

「僕は生きてるだろ! それにまたこうやって会えたじゃないか!」

「それは結果論だ。それにお前……結局は逃げてるだけじゃないのか」

「逃げてる……?」

「いざ元の世界に戻ってみたら思うように馴染めなくて、それを周りのせいにして逃げたんだろう」

 

 違う。

 そう言いたいのに、言葉が喉に詰まってうまく吐き出せない。違う。違う。馴染めなかったんじゃない。元の世界のやつらが悪いんだ。ガキでくだらなくて頭悪くてなんにも考えずに生きているから、コメディアの仲間たちとはあまりにも違うから、一緒にいたくなくて避けて過ごしていただけだ。あいつらが悪いんだ。僕は悪くない。逃げたんじゃない!

 

「俺達を頼るな。思い出を美化してすがってもお前のためにはならない。ちゃんと現実と向き合え。……今のお前じゃ、最初に会ったときの甘ったれに逆戻りしたと言われても否定出来ないぞ」

「なっ……!」

 

 それはひどい冒涜に思えた。

 5年前のあの旅で、一人の人間として成長を遂げた事実は籐也にとって誇りにも近いものだった。なのにそれを甘ったれに逆戻りしたなどと言われては、その事実を、誇りを、なかった事にされるのと同じだ。つまり、共に過ごしたあのつらくて楽しかった日々すらも。

 他の誰でもなく、親友だと思っていたロイにそう言われたことが、籐也の心臓を鋭く刃のように突き刺した。目の奥が、かあっと熱くなるのを感じた。

 

「なんだよロイ……僕がかえってきて、嬉しくないの……?」

 

 目元で雫が震えているのがわかる。今にもこぼれてしまいそうなほど感情が込み上がって、いつの間にか握り締めていた拳もぶるぶると震えていた。

 嬉しいと言ってほしい。会いたかったと言ってほしい。大きくなったな、男らしくなったなと言ってほしい。5年前のようにくしゃくしゃな笑顔で、トーヤと名前を呼んでほしい。

 

「嬉しくない。お前は、元の世界に帰るんだ、トーヤ」

 

 なのに、耳に届いたのは望まない言葉。

 こぼれ落ちた雫と共に、籐也の中で感情の堰が決壊した。

 

「もういい! ロイなんか知らない! お前なんか親友でもなんでもない!!」

 

 どん、と思いきり突き飛ばしたはずのロイの体は5年前と違って分厚く、重く、スポーツも禄にしていなかった細い籐也の腕力ではぴくりともふらつかなかった。昔は喧嘩する度に突き飛ばしては、尻餅をついたロイに叱られていたのに。もう、この長身に見上げられることはない。

 変わってしまったのだ。

 籐也を置いて、ロイは一人で大人になった。そして大人になった彼は、かつてずっと親友だと言った籐也を拒絶し、突き放そうとしている。

 

 孤独。

 

 元の世界で感じた、あの自分だけがぽっかりと浮いているような感覚。

 それが急激に迫ってきて、籐也は焦燥に駆られた。ロイでは駄目だ。分かってくれない。誰か。誰か。別の誰かなら、きっと。

 

「───……エルレイン」

 

 ふと脳裡によぎった後ろ姿が、籐也に一筋の希望をもたらした。

 

「そうだ……エルレインなら、きっと僕がかえってきたことを喜んでくれる!」

 

 そう思い付いたら、居てもたってもいられなくなった。早く彼女に会わなければ。大好きだ、行かないでと言ってくれた彼女なら、きっと籐也がいなくなったことを大層悲しんで、寂しがってくれたに違いない。かえってきたと知れば喜んでくれるはずだ。絶対に、絶対に。

 

「あっおい、ちょっと待てトーヤ! 姫は……!」

 

 走り出した籐也の後ろから焦ったように引き止めるロイの声が聞こえた気がしたが、籐也は構わなかった。心は、エルレインだけに向かっていた。

 

 

 

(中略)

 

 

 

 見知らぬ青年は、右手を左胸に添えて軽く会釈すると、うれしそうに微笑む。グレーに近い癖のない髪がさらりと揺れて、それにどこか既視感を覚えた。

 

「お会いするのは二度目だね、トーヤ。僕はアルノルト・レフ・パラディーゾ。プルガトリウムの第三王子で───今は、エルレインの夫です」

 

 握手を求めているのか、差し伸ばされた手と詰められた距離を籐也は呆然と見つめる。

 青年はまだなにか話していた。にこにこと、うれしそうに。けれど全く耳に入ってこない。信じがたい言葉が脳を揺さぶったせいで、思考が追いついていなかった。

 

「……おっと……?」

 

 ようやく絞り出したそれは、随分と現実味のないふわふわした塊に思えた。おっと。その意味を理解しようとするのをぐらつく脳みそが拒否している。なんだかとても嫌な予感がした。

 

 それでも、思考は動き出す。籐也の意思とは関係なしに、あるいは無意識に理解しようとしているのか、吐き出した言葉を再び咀嚼し始める。

 

 オット。

 

 おっト。

 

 オッと。

 

 おッと。

 

 おっと………

 

 ………『夫』?

 

 

「嘘つくな!!」

「うわっ」

 

 ぱちんとようやく変換された漢字が頭に浮かんだ途端、籐也は青年に掴みかかっていた。ロイに感じたものとは違う種類の憤りが溢れ出して、昂る感情のまま震える拳を振り上げる。

 

 それを止めたのは、走って追いかけてきたらしいロイだった。

 

「おいっやめろトーヤ!」

 

 羽交い締めにされながら青年から引き剥がされ、籐也は抵抗するように闇雲に暴れる。だと言うのにロイ「はびくともしない。走ってきたせいか息は速いが、そのまま籐也を抱えて青年から距離を取る足に疲れは見えなかった。

 その事にも、苛立ちを感じる。どうしてみんな、こんなにも思い通りにいかないのか。

 

「離せよバカロイ! 僕に触るな! 離せったら!」

「落ち着けトーヤ! 何考えてるんだ!」

「だってっ……こいつが変な嘘つくから!」

「嘘だと?」

「自分がエルレインの夫だって!」

 

 口にするのもおぞましいと言わんばかりに吐き捨てた籐也に対し、背後でロイが息を詰める気配がした。

 嫌な予感がする。

 ついさっきも感じた、聞きたくない類いの言葉がもたらされる予感だ。言わないでくれ。そう願うのに、やはり誰も思い通りにはなってくれない。

 

「……それは、嘘じゃない」

 

 平たく、強ばったロイの声が響く。

 

「エルレイン殿下は、今から1年前───こちらにいらっしゃるアルノルト殿下と、婚姻を結ばれた」

 

 君なら、喜んでくれるって信じてたのに。

 いつか結婚しようねって、約束したのに。

 

 親友だけでなく、大好きだった女の子すらも自分を忘れ、変わってしまった。

 突きつけられたその事実は、籐也の胸をぐしゃぐしゃに押しつぶした。

 

 

 

 

20160308

(20200630再掲)