少年H


 

 あっという間だった。

 

 セントラルへと向かう道中、黒い甲胄に身を包んだ集団が現れ、先頭の人物が「クラウス商会の者だな」と一言発すると、父がそれに答える前に血飛沫が舞った。

 父が倒れ、母が悲鳴を上げる。

 同行していた従業員の何名かが父に駆け寄ろうとして、やはり血飛沫とともに崩れ落ちた。

 俺に目掛けて甲胄の人物が近付いてくる。

 母が立ち塞がった。

 その母ごと、俺の体は鋭いなにかで刺し貫かれた。

 死というのはこんなにも唐突に、こんなにも理不尽に、こんなにも呆気なく訪れるものなのかと思った。

 

 そして俺は、その時、死んだ。

 

 

***

 

 

 瞼を押し上げると、見慣れない天井が目に入った。

 

「おはよう。目を覚ましたんですね」

 

 声の主はこちらを覗き込むように身を乗り出し、俺に微笑みかけた。

 男だった。若いようにも見えるが、とうに60を超えていると言われても不思議と納得してしまうような、年齢不詳な人物であった。

 あなたは誰か、と問おうとして、声が出ないことに気が付いた。喉の内側になにかが張り付いたような違和感がある。

 

「ああ、無理に話そうとしなくて大丈夫ですよ。水分を取っていないから喉が乾いて声が出しづらいでしょう」

 

 おかしいのは喉だけではなかった。

 

 全身が重く、指先ひとつ動かせそうにない。

 それに、腹のあたりがじくじくと。

 

 

「───っ!!」

 

 

 そうだ。

 

 俺は刺されたのだ。

 そして死んだのだ。

 それならば、ここはどこだ?

 男を見ると、俺がなにを言いたいかを察したのか、微笑みが鎮痛な面持ちへと変わった。

 

「ここは僕の診療所です。僕は医者で、西部からセントラルに続く街道で君たちが倒れているのを偶然見つけて、ここへ連れて来ました」

 

 ならば、俺の他には?

 父は?

 母は?

 従業員のみんなは?

 

「助かったのは君だけです」

 

 俺、だけ?

 

「他の方は全員、あの場で絶命していました」

 

 呼吸が止まる。

 

 涙は、出ない。

 実感がないからだ。

 

 だって俺はいま生きている。

 俺が生きているのに、みんなが死んでいるなんて想像ができない。

 

「君の傍らには女性が倒れていました」

 

 母だ。確信する。

 

 母は俺と甲胄の人物の間に立ち塞がったのだ。

 そして俺は、母と一緒に。

 

「彼女の傷を見るに、おそらく君と彼女は串刺しのような形で刺されたんでしょう。君の怪我は重傷ではあるけれど、幸い致命傷には至らなかった。それはおそらく、彼女が先に刺されたことによって僅かに軌道が逸れたためだと考えられます」

 

 母は、俺を身を呈して守ってくれたのだ。

 父が殺されて恐ろしかっただろうに、それでも俺を庇おうと。

 

「君は生かされたんです」

 

 俺は死んでいなかった。

 生きている。

 父だって、少し前までは生きていたんだ。母も。従業員のみんなも。

 

 セントラルに商売しに行くだけの、いつもと変わらない一日だった。

 瞼の裏にある笑顔はまだ鮮明で、耳の奥には賑やかな笑い声がこびり付いている。

 

 なのに今生きているのは俺だけで、他はみんな、死んでしまった。

 

 嘘みたいだ。

 

「……君は、生きるべきです」

 

 死んだんだ。みんな。

 

 俺以外、みんな。

 

 唯一守られた俺だけが生きている。

 少し前まではみんなで共有していた時間は、これからは俺ひとりの針だけが進んで行く。

 

「……水を持ってきますね。飲めるようであれば、飲んでください」

 

 男が視界からいなくなり、ドアを開け閉めするような音がした。

 

 この空間には俺しかいなくなった。

 

 みんな、いなくなった。

 

「────」

 

 声を出そうとしてもうまく出ない。

 小さく、金属を引っ掻いたような音だけがかろうじて発された。

 その音が、見慣れない天井の、知らない部屋を満たしていく。

 

「────」

 

 俺は生きている。

 俺は生かされた。

 

 みんなは死んだ。

 俺を残して死んだ。

 

 俺だけが生きて。

 みんなは死んで。

 

 

「────ぁ」

 

 

 父さん。

 

 母さん。

 

 みんな。

 

 

 俺は、みんなと一緒に死にたかった。

 

 

 

 

 20190311

(20200630再掲)

 

(どうしてたったひとり、生かしたんだ?)