「好きです」

 

 告白された。

 それだけなら、自慢ではないが日常茶飯事だ。いや決して自慢ではないが。

「…………えーっと……」

 呼び出し方があまりにもベタな『下駄箱に手紙』であったこととか、場所があまりにもベタな校舎裏であったこととか、時間帯があまりにもベタないい感じに夕日が差している放課後なこととか、もういっそベタにベタが重なりすぎて疑わしいレベルの完璧な告白である。

 だが今までこういうパターンがなかったというわけでもないので、そこもまあ慣れていると言えば慣れている。

 

「……あのー、ごめん、ちょっとさあ……聞いてもいい?」

「はい」

「君さ……その……く、熊、だよね……?」

「違います」

 

 相手が、この熊みたいな女でなかったら。

 

 

 

 

 あれから熊に付きまとわれている。

 あの日、ごめん俺人間としか付き合えないと丁重に断りを入れたら、熊はあろうことか私は人間ですなどと阿呆なことをぬかしやがり、そのまま俺に付きまとうようになった。

 朝にはどうやって調べたのか自宅までやって来て「一緒に登校しましょう」と言うし、昼休みには教室までやって来て「一緒にお弁当を食べましょう」と言うし、放課後には校門前で待ち伏せて「一緒に帰りましょう」と言ってくる。おかげで俺は周囲からついに年貢の納め時かとかそれにしたってまさか熊が相手とはとか言われたい放題だ。

 しかし生憎俺はまだ年貢を納めるつもりはないし、百歩譲って恋人をつくるにしても熊相手はない。俺の好みは俺より小さくて華奢で“かわいい”が服を着て歩いているような女の子である。到底あの熊とは似ても似つかない。

「だからさ、いい加減付きまとってくんのやめてほしいんだけど」

「すみません」

 そんな俺の懇切丁寧な説得を、熊はその一言で切って捨てやがった。おのれ許すまじ。

「……そのすみませんは『はいもうしませんすみません』のすみませんなの? それとも『いや付きまとうのはやめないですすみません』のすみませんなの?」

「後者です」

「人の話全然聞いてねえじゃねーかよくそったれ!」

 一言で片付けやがった挙げ句俺の小一時間が水の泡である。これでも忙しい俺がわざわざ遊びの誘いを断ってまで説得に当たっているというのに、この熊野郎どういう了見なのか。

 

「おい熊子」

「久美子です三田先輩」

 

 熊の本名は野呂久美子という。しかも一年。俺の2個下。何食ったらこんなでかくなんの?

 とりあえず、どう見ても熊にしか見えないので俺は熊子と呼んでいる。“子”をつけているだけまだ有り難いと思え。

「俺、君みたいな熊はタイプじゃないって初めに言ったはずだよね?」

「言われました」

「なら今俺がどれだけ迷惑してるかもわかるよね?」

「はい」

「じゃあもう付きまとうのはやめよう。俺はいい加減自由に女の子と遊びたい」

「すみません」

 出た。お得意の「すみません」。

「謝ってほしいんじゃねんだな。やめろって言ってんの」

「すみません」

「……話聞いてた?」

「はい」

「じゃあもう俺には付きまとい……?」

「ます」

「付きまとうのかよ!話進まねえな!」

 手に持っていた中身の入っていないぺらっぺらな鞄を床に叩きつけると、ぺたん!というやる気のない音をたてて着地した。熊子は無言でそれを拾い上げてそっと俺の手に戻してくる。その拍子に触れた手のひらは、あれだ、お父さんの手だ。包容力がありすぎる。とてもじゃないが16歳の女の子の手じゃない。

 

「……先輩は、」

「あ?なに」

「どうしたら、私を好きになってくれますか」

 

 胡乱げに見返すと、感情の読めないちんまりした熊子の目が俺をじっと見つめていた。真剣な面差しなので、俺も真剣にこたえる。早いとこ終わらせて帰りたいのだ。

「だから、ないよ。俺が君を好きになることは絶対にない」

「どうしてですか」

「まず顔が無理」

「顔……」

「仮に君を熊として捉えるならまだキャラクターとかに出来そうな愛嬌はあると思うよ? プ○さん的なね? でも女の子としては最悪。だって熊なんだもん」

「……」

「俺は背が小さくて目がぱっちりしててかわいーい女の子が好きなの。君にその要素、ある?」

 だいぶキツいことを言っている自覚はあるが、事実なものは仕方がない。

 自慢ではないが、俺は人よりも格好いい方だと思っている。実際、かなりモテるし。いや自慢ではないが。

 もし熊子が面食いなのであれば、これからも俺のようなやつに分不相応な感情を抱いてしまうこともあるだろう。その度にこんな風にしつこく食い下がっていたのではいつか警察でも呼ばれかねない。それならもうここでちゃんと身の程を分からせてやった方が、むしろ熊子のためなのである。

「……分かりました」

「えっ」

 そう一人でうんうん頷いていると、突然、熊子が神妙な面持ちで踵を返した。ずんずん床を踏み鳴らしながら遠のいていくたくましい背中を見送りながら、俺は少しの間ぽかんとする。

 

「……分かった、の?」

 

 どうやら、俺の小一時間は報われたらしい。

 ようやく理解した瞬間、俺は思わず、やったー!と飛び上がりながら絶叫していた。あ、こらそこ、薄情とか言うな。

 

 

 

 

「…………えーっと……」

「……」

「…………く、熊子?」

「久美子です三田先輩」

 

 熊子らしい。

 

 どうやら熊子本人らしい。

 見えないけど、熊子であることは間違いないらしい。

 

 まじまじとその顔を見つめながら、俺は唖然としたまま口を開いた。

「……どうした、その顔」

「先輩が、私の顔が気に入らないと言ったので」

「いや気に入らないじゃなくてタイプじゃないって言ったんだけど……でもそれでなんでそんなんなった……?」

「顔を、変えたくて」

 

 ……変え方違くね?

 

 心底そう思ったが、なかなか口にはしづらい。

 世にも恐ろしいことに、熊子の顔はぼっこぼこに腫れ上がっていた。試合後のボクサー並みにぼっこぼこである。

 というか明らかに殴り合いしてきましたよね君。何人か闇に葬り去ってきましたよね絶対。

「うち、ボクシングジムなんです。父が元プロボクサーで」

「ウワー、やっぱり」

「やっぱり?」

「いやこっちの話」

 熊子の話によると、顔を変えたかった熊子はお父さんに頼み込んでジムに来ていた人たちのスパーリングの相手をしまくったらしい。しかも本来つけなくてはいけない顔をカバーする防具なしで、だ。よい子は真似しちゃいけません。

 そしてその結果、今のぼっこぼこフェイスが出来上がった。それでも、人よりだいぶ頑丈な熊子がこの状態になるまでには5時間ほどかかったとか。とんだ逸材じゃねえか。君もう世界目指せよ。

「三田先輩」

「あ?なに」

「これで、少しは先輩の好みに近付いたでしょうか」

 腫れ上がった瞼から僅かに覗く真剣なまなざしに、俺はやさしく微笑みかける。

 

「いや全然」

「えっ」

 

 えっ、じゃないよ。むしろなんでその顔になって俺の好みに近付いたと思ったんだよ。

「ていうか、顔だけが問題じゃねんだな。君身長もでかいしさ」

「……」

「ちなみに今何センチ?」

「148です」

「オイどこがだ」

「すみません」

「なんですぐバレる嘘ついた?」

「すみません」

 乙女心ってやつか。

 あ、間違えた。熊心ってやつか。

「まあとにかくそういうことだから、ぼっこぼこになっちゃったとこ悪いけど、やっぱり俺的にナシなの、君は。ごめんね」

「……分かりました」

「あ、分かったの?」

 それならよかった。

 安心して、まあゆっくり休んで怪我治せよー、と手を振りながらさっさとその場を去る。ぼっこぼこの熊と一緒にいるところなんか見られたら内申に響きかねないので、一刻も早く離れたかったのだ。くわばらくわばら。

 

 

 

 

「……うん。まあ嫌な予感はしてましたけどね」

 

 案の定でしたよね。

 翌日顔を合わせた熊子を見て、俺は口角が引きつるのを感じた。

「……熊子よ」

「久美子です三田先輩」

「今度は君の身になにが起きたんだ」

「先輩が、身長の大きい女は嫌だと言ったので」

「いや、君レベルにでかければみんな嫌だと思うけどね」

「小さく、なりたくて」

 

 いわく、重量挙げを極めてしまったらしい。なんでだ。

 

 順を追っていこう。

 熊子はまず、背を縮ませるためにはどうすればいいかを考えた。そこで、重いものを持ってみたら縮むのでは?と思い立ち、手始めに100キロのバーベルを持ち上げてみた。意外とすんなり持ち上がってしまう。今度は110キロだ。これも簡単に持ち上がる。ならば次は120キロを。持ち上がる。130キロを。持ち上がる。140キロを。持ち上がる。150キロを……

 そうこうしているうちに、気付けば重量挙げの世界記録(しかも男子)に並んでいたらしい。なんでだ。

「……1日で、人間ってこうもたくましくなるもんなんだね」

「そうでしょうか」

「熊っていうか……もう筋肉だよね。筋子って呼ぼうかなこれから。筋子!」

「やめてください」

「ていうか昨日の顔面の怪我もう治ったんだ」

「はい」

「すげーなおい」

 重量挙げを極めてしまった熊子は、昨日に比べて明らかにムキムキしている。熊の名にふさわしくずんぐりむっくりしていた体が今やボディービルダーもかくやというムキムキ具合だ。……君、身長小さくしたかったんだよね?

 しかも昨日の怪我がもう治ってるとかただの人外である。俺はもしかしたらとんでもない化け物を育成してしまったのかもしれない。一夜にして筋肉おばけと化した熊子を見て、我ながら戦慄を禁じ得なかった。

「三田先輩」

「あ?なに」

「これで、少しは先輩の好みに近付いたでしょうか」

 俺は、またしてもやさしげな微笑みを熊子に向けてやる。

 

「な訳ねーじゃん」

「えっ」

 

 だからなんで、えっ、て言えるんだろうな君は。

 

 

 

 

 それ以来、熊子の斜め上な努力は続いている。

 

 しかし努力すればするほど俺の好みのタイプから光速で遠ざかっていくどころか、もはや人間からも離れていっている始末だ。

 すでにモンスターの域である。いよいよ俺の手には負えなくなってきた。

 

 というわけで、そろそろこの不毛なやりとりは終わりにしなければならない。

 

「あのさあ、熊子」

「久美子です三田先輩」

「なんで俺なの?」

 しかしせっかくだから、これを機にずっと抱いていた疑問をぶつけてみることにした。

 それはずばり、何故にただのイケメンな俺がこんな化け物に好かれる羽目になったのか、ということである。あ、いやこれ自慢じゃないよ。俺がイケメンなのはただの事実だよ。

 熊子は、たっぷり二、三分ほど俺を凝視しながら黙りこんだあと、おもむろに口を開く。

「私、美術部なんです」

「え」

 この図体で?

「こんな見た目で、おかしいでしょう。しかも美術部のくせに絵がとても下手くそなんです。幼稚園児の方が、まだ上手なくらい」

「それはまた……」

 一応自分の外見は正しく把握しているらしい。そこはおにいさん非常に安心しました。

 あとそこまで絵が下手なら辞めればいいんじゃないかと思ったのだが、ちょっとシリアスな雰囲気になってきたので口にはしづらい。

「だから、今年の文化祭で美術部の展示をやったときも、一人だけすごく下手で。いろんな人に馬鹿にされて笑われました」

「……」

「仕方のないことだと分かってはいても、悲しかったです。笑われたくて描いたわけじゃないから。でも、」

「……でも?」

「そんなとき、ある男の子が言ったんです」

 美術部の展示の中であまりにも浮いているど下手な熊子の絵(熟しきって黒ずんだバナナの絵だったらしい。なんでそんなもん描いた)を、うんこだのかりんとうだのと馬鹿にする男子たちの中で、たった一人、にこりともせず。

 

 ―――笑うなよ。いい絵じゃん、俺は好きだよ。

 

「それを聞いた瞬間に、すとんと落ちてしまいました。恋に」

 

 当時のことを思い出しているのか、熊子のちんまりした目が細められている。

 心なしか頬が赤いようにも見えて、俺の居心地はたちまち悪化した。

「……それが、俺?」

「はい。三田先輩は校内でも有名な方なので、私も知っていました」

「悪いけどそれ、俺覚えてないよ。ていうか俺も絵得意じゃないから……だから適当に言ったんだよ多分。そんな有り難がるようなことじゃない」

 うんこみたいなバナナの絵なんてさっぱり記憶にはないが、ライオンを描いただけで爆笑を巻き起こしたことのある身としては、おそらく熊子の絵が笑われている状況に居たたまれなくなったんだろう。まるで自分が笑われているように感じたのかもしれない。ていうか、嘘でもうんこの絵を好きって言うとかそのときの俺どんだけ余裕なかったんだ。

 そんな調子で、ただ口をついて出ただけだろう一言だ。それをよすがに、俺に恋をした熊子が、なんだか哀れに思えた。

「俺、君にたくさん酷いこと言ってきたと思うんだけど」

「そうでしょうか」

「そうでしょうよ。なのにそんなたった一言のためにずっとさあ……割に合わなくね?」

「構いません」

「なんで」

「私があのとき先輩に恋に落ちたことは、決して間違ってはいなかったからです」

 熊子が、ずいっと一歩を踏み出す。

 俺は、思わずじりっと一歩後ずさる。

「三田先輩は、優しいひとです。その証拠に、しつこく付きまとう私にこれまでずっと付き合ってくれました。私が先輩を好きになったのは、間違いではなかったんです」

「……しつこい自覚はあったのか」

「三田先輩」

「なに。聞いてるよ」

「どうしたら、私を好きになってくれますか」

 熊子は、真剣だ。

 ならば俺も真剣に答えなければならない。こんなやりとりは、今日で最後にするんだ。

「熊子」

「久美子です三田先輩」

「何度も言ってるけど、改めて言うよ。俺は、君みたいな熊は、好みじゃない」

「……はい」

「俺の好みは、俺より小さくて華奢で“かわいい”が服を着て歩いているような女の子だ。君には似ても似つかない」

「はい」

「しつこく付きまとわれて迷惑してる。周りにも冷やかされるしっていうか生温かい目で見守られるし、正直女の子からの人気も暴落してる。これほんと許しがたい」

「すみません」

「君の相手をしてたのも仕方なくだよ。熊相手にパンピーが逃げ切れるわけないだろ。自分のポテンシャル舐めんな」

「すみません」

「だからつまり、俺が君を好きになることは、まずもって、有り得ない」

「……はい」

「でも、だからって嫌いなわけでもない」

「はい。…………えっ」

 熊子が機敏な動作で顔を上げる。

 直視すると、ああやっぱり熊だなあと思う。好みじゃない。俺は人間の女の子がいい。これ相手にちゅーすら出来る気がしない。

 

 でも、俺は熊子を嫌いではない。

 だから。

 

「友だちくらいになら、なってやってもいいよ」

 

 遠回しに、だからそれ以上は諦めろ、と言ってやった。

 これが俺に出来る精いっぱいの譲歩である。ストーカーまがいの熊にここまで情けをかけてやるなんて、俺ってば中身までイケメン。

 

 ひとまず友好の証に握手でもと思い右手を差し出すと、お父さんもとい熊子の手がものすごい勢いで俺の手を引っ掴んできて腕ごともげそうになった。おい自分のポテンシャル舐めんなって言っただろうがこの熊野郎。

 よく見たら、熊子のちいさい二つの目にはきらきらと涙の膜が張っている。次第に嗚咽も聞こえだした。

 

 え。

 

 いやいやいや。ちょっと待って。俺べつに告白受けたわけじゃないからね。友だちにならなってやるよって言っただけだからね。むしろそれで納得させたあとは本格的に関わりを断とうと思ってたからね。だからそんな期待のこもったまなざしで見つめられても困るっていうか俺にはどうしようも……

 

「三田先輩」

「な、なに」

「ぜったい幸せにします」

 

 やっぱり話全然聞いてねえじゃねーかよ、くそったれ!

 

 

 

 

20141213

(20200630再掲)

 

 

あれはなんという名前の失敗だったろう