「生きんのってさあ、しんどくない?」
緑色のショートヘアをふわふわ揺らしながら、悪魔が言った。ちらりと視線をそっちに向けて、寝転がって漫画を読んでいたのを仕方なく中断する。あん?と聞き返すと、悪魔はまた能天気そうな声で言った。
生きんのってさあ、しんどくない?と。
「しんどいに決まってんだろ、バーカ」
「なら死んじゃえばいーのにいー。人間てマゾなん?」
「死ぬのだってこえーもん」
「うちに任せれば一瞬だよ!」
「おまえみたいなへっぽこなんぞに任せるか」
「なんだとおおう」
「大体、死ぬのって一生もんなの。一生に一度なの。大事に使いたいの、俺らは」
どうやら悪魔はへっぽこ呼ばわりが不満らしく、ぶーぶー言いながら俺の部屋中を縦横無尽に転がりまわっている。ごろごろごろごろ、途中でどこかにぶつかってもまだごろごろ。ごろごろごろごろ。
目障りだったので、とりあえずベッドから起き上がって無造作に踏みつけた。ぎゃふん!と悲鳴。……それ使いどころ間違ってないか?
「うちはへっぽこじゃないよおう」
「はいはい、何回も聞いたよ」
「じゃあなんで言うんさ! しかも踏むし! ヨウちゃんのサドー、うわーん」
「また転がんのやめろってば」
「悪魔のうちより外道じゃあー」
うおんうおんと粗末な泣き真似をしてから、悪魔はくるりとその真っ赤な目でこっちを見た。そこで、ふと気付く。
──悪魔の配色って、これクリスマスカラーじゃね?
「………うっわ果てしなくどうでもいい……」
「ねえねえヨウちゃん、ヨウちゃん」
「なによ」
「うちの仕事は一体いつ頃になるんかなあー」
「仕事ぉ?」
「より詳しく言うなら、ヨウちゃんがお陀仏するのはいつ頃になりますか! あ、うちはなるべく早めがいいな!」
「……今さらっと最悪なこと言ったんですけどこいつ」
「ね、ね、いつ頃ー?」
「知らん。当分先だな」
「がーん!」
いつの頃からか居ついていたこの悪魔は、俺の命をお持ち帰りするのが仕事という、所謂『死神』的ポジションらしい。そんなら初めっから死神って名乗れやと突っ込めば、だってうち悪魔だもん!という頭の悪そうな答えしか返ってこなかった。まあ、こいつがこういう奴だから俺は今でも生き延びている訳で、だから文句は言わない。すげー言いたいけど。
悪魔は大層傷ついた様子で、ぶえぶえと珍妙な泣き声を出した。一滴も涙が出ていないところを見ると、いや見なくても明らかに泣き真似だったが、俺が漫画を読みながら食べていた煎餅を泣いているくせにばりばりと頬張りだした時点で、嘘泣き確定、とりあえず頭を叩いてやる。ぎゃふーん!とまた悲鳴。だから使い方間違ってんだろって。
「……あー、そういや、生きる方が戦いだって、誰かが言ってた気ィすんな。確かにそうだ。だから勝ちたくて、だから生きてんじゃね?人間って」
「んん? なにそれ?」
「さっきの、お前が言ってた『なんで死なないのか』ってやつの回答」
「具体的になにしたら勝ちなん?」
「……楽しんだら?」
「フワッとしてるー」
「でも楽しくねーから負けてるのかって言われたら、そうでもないんだよな」
「ムム、哲学的ですな!」
「まあとりあえず、死ぬときに『うわあーちょう未練たらたらなんだけど死にたくねーよこんちくしょー』って思える人生なら、及第点なんじゃね?」
「ふつー違くなあい?」
「それはみんなが理想高く持ちすぎなの。人生に一片の悔いなし!ちょう満足!とか言って死ねる人間なんざそうそう居ねーっつうの」
「そんなもん?」
「そんなもん」
「ふうーん」
疑わしげでも納得したようでも興味があるわけでもないわけでもなく、悪魔はただふうーんと言う。たびたび同じようなことを聞かれるが、一度としてその返事が変わったことはない。悪魔は死なないから、よくわからないんだろう。わからないなら聞かなきゃいいんだ。答えなんて、俺は持ち合わせていない。
でも悪魔がそう尋ねるたび、俺は考える。生きんのはしんどい、じゃあなんで生きてんだよ、って。
考えるのを重ねて、なんとなくだが、自分の理由は見つけた気がする。単なる惰性、死ぬのがこわいから、そういうのだって間違いじゃない。けど、俺が見つけた理由とは、少し違う。
「たとえば、さ」
「んん?」
「会いたい相手とか、見たいテレビとか、聞きたい新曲とか、食いたい料理とか、知りたいニュースとか、話したいくだらないネタとか、探せばどんだけキツい人生だって、どうしたって、いくらでもそういうの出てくるはずだろ。ていうか、出てきちゃうもんだろ、きっとさ。明日には、そういういろんな『したい』が詰まってんの。どんな些細なことでも、したいなって思えることが待ってくれちゃってんの。それなら諦めんのは勿体ねーじゃん。つーか諦めつかねーよ、『したい』んだもん」
「……んんー?」
「……まあ詰まるところ、したいことがある内は死にたくねーし、死ぬ間際まであれがしたいこれがしたいって思える人生が一番だよなって話」
「ほほおう、なるほど! つまりヨウちゃんは俗物のカタマリってことだね!」
「……なんかその要約の仕方腹立つわー」
床に転がったままの悪魔は、緑のショートヘアをふわふわと揺らして、真っ赤な目をくるりと回して、ばりばりと煎餅を頬張っている。食べかす床に落とすなよ、と今さらながらに注意すると、へらりと笑って無視された。あ、てめ、このやろう。
「うふ、うふふ、そんならやっぱりヨウちゃんの人生最後のセリフは『未練たらたらだぜ!』になるんかなあ。うへえ、はやく見たーい。わくわくしちゃーう」
「うーわー、悪魔さんってば俺の死に際看取ってくれんの。ちょう感激ー、悶え苦しみそー」
「特別に安らかに死ねって祈ったげるよ!」
「……そこ胸張るのおかしくね?」
「支払いはクレジットカードでも可です!」
「しかも金まで取んのかよ」
「地獄のサタもカネ次第って言うじゃーん?」
「分かった、お前とりあえず早くエクソシストに祓われろ」
そう言った俺に、悪魔は相変わらず能天気極まりない様子で、やだよおう、と笑った。曰わく、うちの『したい』は全部ヨウちゃんに詰まってんだもん!離れたくなあーい!……らしい。
それなら俺は、再放送のドラマを見るのとこいつを殴り倒すのを『したいこと』リストに掲げて、明日を生きようと思う。
生きる理由なんて、きっとそんくらいで充分だ。
20100622
20130905改訂(20200630再掲)
ひと掬い分のエデン売ります