がちゃり、と手元の愛銃が鳴いた。
あとはあれ目掛けて引き金を引くだけ。
これまで費やした時間に比べて、やけにあっさりとしたフィナーレだと思う。いっそ華々しいほどのあっけなさ。
歩を進めた先に、”あれ”の後ろ姿が見えた。
薄暗い室内で僅かな灯りが黄金色を照らす。まるで煌びやかなドレスにも見紛うほど、あれの髪は美しく波打っていた。
今からあの黄金色が朱に染まる。それはどんなに喜ばしく、気色の悪い光景だろうかと思案して、知らず口元がつり上がった。
「ご機嫌如何ですか? 麗しき“不老の魔女”」
声を掛けると、”あれ”は鬱陶しいほど長い髪を翻してこちらを振り向いた。
口元には微笑。妖艶な動作で首を傾げる。
「あら、ご機嫌よう」
久しく会っていない友人に挨拶するかのような気軽さで、そう言った”あれ”の眉間に照準を合わせる。
それが見えないはずもないというのに、忌々しくも一向に表情を変えない”あれ”にそっと罵りの言葉を捧げて、人差し指に力を込めた。
「お約束通り―――貴女を殺しにきました」
小気味よい破裂音が、すうっと鼓膜へと馴染んでいった。
*
事の始まりは6年前まで遡る。
その日、父から所用を頼まれていた私は数人の使用人を連れて近くの街まで出掛けていた。
所用と言っても大それたものではなく、体調が優れず行く事が出来ない父の代わりに、伯父にあたるイーズベルト侯爵に挨拶へ伺うというものだった。古くから良くして頂いている伯父に会うのは私としても喜ばしいことで、その日の夜には帰ると父に告げて予定よりも早めに屋敷を発ったと記憶している。
屋敷へ戻ったのは、夕日がすでに沈みきり、月が顔を見せ始めた夜半のことだった。
屋敷は街の中でも小高い丘の上に建てられており、眺めのよい立地であったため、異変にはすぐに気が付いた。
赤い。
その赤は、まるで天を衝くかのように伸び上がっていて、ゆらゆらと揺れるそれが炎だと悟るまで、時間は掛からなかった。
流れ出す光景に、自分が走っているのだと気付く。
なんだ、何があった。あれはどういうことだ。何故屋敷が燃えている?何故。何故。
屋敷へ足を踏み入れると、むわっとした熱気が体に纏わりついた。
息を吸うと、喉に焼けるような痛みが走り、思わず咳き込む。ちりちりと、皮膚が焦げていく。
構わず走り出せば、床には無数にごろごろとした何かが転がっていた。ぐにゃり、踏みつけるとゴムのような感触がする。
人間だ。
走る度飛び跳ねる液体が血液だと気付いた瞬間、ぶつりと頭の中で何かが千切れる音がした。
「う、あ、あ あ あ あああ あ ああ あ あ あ!!!!」
体の全ての器官が唸り声を上げるかのような悲鳴が、熱で苛まれた喉から溢れ出した。
地獄だ、と思った。
灼かれるような熱さと、目を覆いたくなるような惨状。人と人とが重なり合って死んでいた。それは黒く焦げたものもあれば、腹を無残にも裂かれたものあった。
これらは確かに、朝方私を見送ってくれた使用人達のはずなのに、何故彼等はこんなにも淀んだ瞳で、床に転がっているのだ。狂気が渦巻いているとしか思えないこの場所は、本当に私の屋敷だったのか?
耐えきれずにもう一度、地獄だ、と呟いた。
一心に目指したのは父の寝室だった。
あの人は体調を崩していて、この炎の中でも逃げられずにいるだろうと思ったからだ。
頑丈な造りをした豪奢な扉が見えたと同時に、父上、と叫ぶ。喉はすでに熱気にやられて、掠れた老人のような声しか発しなかった。
ようやく辿り着いて開けようと試みれば、部屋には鍵が掛かっているらしく、押しても引いてもびくともしない。堪らず、渾身の力を込めて蹴りを見舞えば、扉を飾っている美しい金具が見事に砕けて鍵が勢いよく吹っ飛んだ。扉がけたたましい音をたてて口を開ける。
目の前に広がっていたのは、信じられない光景だった。
だらりと下がった首、両手首両足首に打ち付けられた木片、腹部にぽっかりと空いた穴。
最初視界に入れた瞬間は、まさかそれが人間だとは思えなかった。
人としてこのような仕打ちがあっていいのかと、それほどまでに惨い有り様だった。
ひゅーひゅーと、辛うじて繰り返されている呼吸が奇跡のように感じられるほどに。
「―――……父、上……」
ぼろ雑巾のようなそれは、確かに私の父だった。
血の気が失せていく音が耳元で聞こえる。体が動かなかった。
ゆらり、と視界の端で何かが動くのを見た。首だけがそちらを向く。
立っていたのは、女だった。
「あら、ご機嫌よう」
その女は、この状況に全く沿わない科白を妖艶な笑みに乗せて吐いてから、白く長い指で父を指差した。
「貴方、”これ”の息子かしら?」
瀕死の人間を前にした態度とは思えないほど優雅で流れるような動作全てが、その女を化け物であると誇示しているかのように感じられた。
瞬間、私は悟った。
この女が、屋敷に火を放ち、使用人達や父をこんなに無残な姿にしたのだと。
がたがたと全身が震え出す。恐れではなかった。ただ、純然たる怒りによってもたらされた殺意が、私を満たし、突き動かそうとしているのを感じた。
妙な高揚感。意識は徐々に澱んでゆく。
「……お前が、やったんだな」
念を押すように尋ねる。
微笑んでいた女は、一瞬表情がごっそり抜け落ちたような無表情になったが、またすぐに胡散臭い微笑みを浮かべて、そうよ、とただ頷いた。
それが合図であったように走り出した私の手には、父の愛銃が佇んでいた。近くに転がっていたのを、自分でも無意識で拾い上げていたらしい。
女の方に突っ込みながら、銃の照準を眉間に定める。ひゅーひゅーという呼吸音は、もう聞こえない。
私は、引き金を引いた。
*
「覚えていますか、“不老の魔女”。あれから6年間、私はずっと貴女を捜し続けていた」
白い硝煙がゆらめく向こう側で、”あれ”が倒れているのが見える。
波打つ黄金色に朱が散って、この世と思えぬおぞましさが生まれた。吐き気がする。
ゆっくりと歩み寄って、思い切り腹を蹴り上げた。ごろん、と力無く寝返ったその姿は、まるでゴムと化したあの日の使用人達のようだった。
もう一度、引き金を引く。狙いは特に定めなかった。当たったのは左肩。続けて撃つと、今度は右脇腹に当たった。
「猿芝居はやめろ、化け物め」
言葉と同時に発砲すると、弾は心臓を貫いた。
その拍子に、”あれ”の体がびくりと痙攣する。口元が笑っているのが見えた。
「言ったでしょう、6年だ。それだけ時間があれば貴女の事も充分調べられた」
つり上がったその唇が不愉快で、喉元にもう一発お見舞いする。”あれ”はついにがたがたと震え出した。笑っている。
「禁忌の術に手を出したそうですね。それによって不死身の肉体を手に入れたとか」
ゆえに呼び名が“不老の魔女”。
魔術に精通するものならば知らぬ者はいないという、禁忌の術に成功した唯一の人物。
がたがた震えていた”あれ”は、緩慢とした動作で起き上がり、やはり笑った。
じゅう、という肉の焼けるような音がして、弾丸によって空けられた穴が埋まっていく。超速再生。細胞が急激に分裂しているのだ。
化け物め、ともう一度呟いた。
「そこまで知っていてあえて無意味なことをするのは、単なる嫌がらせかしら?」
「それ以外に何か考えられますか?」
傷跡など面影もなく消え去ってしまった全身に、小さく舌を打つ。
殺してやろうとこの6年間ずっと捜し続けていたのに、いざ目の前にすれば傷ひとつ負わせることも出来ないなんて、腹立たしいにも程がある。
顔を思い切り歪めてやれば、楽しそうに”あれ”は笑った。くすくす。仕草だけは優雅だ。
「覚えているわ、ウェイン・ジオフェルド。6年前、私を殺そうとした坊や」
”あれ”の容貌は、あの日となんら変わっていない。
6年前、私が銃の引き金を引いた時も、今日と変わらず微笑みながら言ったのだ。無駄だ、と。
あの日怒りに全身を支配され、銃を抱えて突っ込んだ私の体は、”あれ”の手が風を切ったのと同時に敢えなく壁に叩きつけられた。骨が砕ける音も聞いた。
上手く息が出来ずに床に臥せ喘ぐ私に、あれは腰を屈ませて呟いたのだ。
――本当に私が憎いなら、私を殺してみせなさい。
――やれるものなら、ね。
そう言って煙のように消えたあの女を、この手で必ず殺そうと、殺さねばならないと、あの日誓ったのだ。
全てを復讐に捧げて生きていこうと決意した時から、僅かに生き残っていた使用人達に屋敷を任せて、ありとあらゆる場所で情報を集めた。
まずはあの女が一体何者なのか、何のために屋敷を襲い、父を殺したのか、そして一体どこに潜伏しているのか。それらに大方の検討をつけるまで、実に6年だ。
6年間も、私はこの女の呪縛の中に居た。
「不死身の女、不老の魔女よ。貴女を殺す方法を私は知らない。だが、これだけは知っています」
「あら。何かしら」
「死なない身と言えど、貴女には痛覚が残っている」
愛銃が吠える。
”あれ”の右足首が血を吹いた。
表情は変わらない。
「……殺せないならせめて、生き地獄を見せてやろうって魂胆ね」
「簡潔に言えばそうなります」
「悪趣味ね。ああ、でも良いことを教えてあげましょうか」
子どもが悪戯を思い付いたような表情でくすくすと笑うその姿は、再生を始めた足首の傷口と相まって、なんとも気持ちが悪い生き物のように見えた。
痛みなど、化け物には関係ないのか。
「結構です。聞きたくありません」
「私を殺す方法を教えてあげると言っても?」
6発すでに放ってしまったために、弾を充填しようと懐に入れた手が、ぴたりと動きを止めた。
「何故、そんな事を?」
「教えたところで出来はしないからよ。もし殺せたとしたら、それも一興」
「……ほう。一応、伺いましょうか」
「ふふ、あんまりロマンティックだから、驚くかもしれないわね」
何がそんなに可笑しいのか、頻りに笑う”あれ”が酷く不愉快に感じて、視界の端へと追いやってから銃の充填をそつなく行う。
”あれ”は、迷惑にもその私の様子を気に入ったようだった。
「不死者を殺す唯一の方法はね――『その人物がこの世で最も愛している人間の手で、命を奪う』ことよ」
ロマンティックでしょう、と微笑む”あれ”の言葉に、情けなくも息を呑んだ。
永遠の命を得たものは、愛する人間に殺されて死ぬ。なんて皮肉で、なんとおぞましいことか。
「だから、私が貴方を愛せば、貴方は私を殺せるのよ」
「私が貴女に? ……冗談じゃない。吐き気がする」
「でも他に私を殺す方法はないわ」
からかっているのかと思ったが、確かどこかでそういった俗説を聞いた覚えがある。あながち嘘であるとは限らない。
だが、あれに愛されろと?
それくらいなら死んだ方がましだ。しかし、そうすると結局復讐は手詰まりになる。この女を殺すために犠牲にした様々なものが惜しいように思われた。
「……貴女は死にたいんですか?」
「いいえ、どちらでもいいわ。ただ、私もそろそろ旅に出ようかと思っていたから、どちらか決めるタイムリミットは今日までにしてちょうだい」
「……」
「諦めるならこのままお屋敷に帰ればいいし、私を殺したいなら一緒に旅を楽しみましょう」
さして重要なことでもないかのように言うあれに、黙って銃を向けた。
引き金を引くと、倒れこそしなかったけれどあれは大きく仰け反った。当たりは眉間だ。普通の人間なら死んでいる。
「―――ご一緒しましょう。貴女を殺せるならば、なんでもしますよ」
微笑んでやれば、額の血をゆったりと拭いながら焦点を私に合わせたあれの眼が、すうっと細まった。傷跡は、もうない。
「それは良かったわ。私の名前はサラ・ドルテア。楽しい旅にしましょう」
微笑むその顔を、いつか滅茶苦茶に潰してやろうと思った。
20071222
20130905改訂(20200621再改訂)
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