革命は、起こされた。
「最後に何か、仰りたいことは御座いますか」
ぽつり、眼下にうずくまるそのひとに問うた。
のろのろと私を見上げたうつくしい銀色の目は、格子越しの薄暗い独房で、一瞬きらりと閃く。
「何も、ないよ」
水分が全部飛んでしまったようながらがら声で、一言だけ答えが返ってくる。
それにひとつ頷くと、背後に控えていた大男がふたり、すたすたと独房に足を踏み入れてそのひとの首根っこを乱暴に掴んだ。ぐえ、と蛙が潰れたような悲鳴が短く響く。
「もう少し丁寧に扱いなさい。そんな持ち方をしては死んでしまいます」
「はっ、申し訳ありません!」
行動を諫めると、大男たちはかしこまって機敏に敬礼をした。
今度は少しだけ慎重に抱えられたそのひとが、ずるずると独房の外に連れ出される。だらりと下がった首に向かって、形だけの敬礼をした。
「それでは、これより処刑場へお連れ致します―――国王陛下」
*
―――ここに居るこの男は、長年我らを苦しめてきた独裁者である!!
むせ返るような熱気が、その高らかな宣言に呼応して大歓声とともにわき上がった。
ころせ。そのあくまをはやくころせ。ひとでなし。おまえなどしんでしまえ。はやく、はやく。
呪いの言葉が鼓膜を貫かんばかりに叫ばれる。
城下の広場にぎゅうぎゅうにつめられた群集の真ん中で、ちっぽけな絞首台を前にした私と陛下と大男ふたりは、つらつらと並べたてられる言葉をじっと聞いていた。
「先王が崩御されたのち、御兄弟が相次いで不幸に合われ、なし崩しで王座に据えられたこの男は、就任直後からその異常な性格の一端を見せていた!!」
今この演説をしているのは革命の首謀者であるカーライル様で、先王の頃から宰相を務め、陛下が幼い時分は教育係をされていた方だった。
おそらく処刑が終わった暁には、この国の実権を担うであろう、御方。
「無意味かつ無差別な大量殺戮を繰り返し、民衆を恐怖に陥れ、女子供にも容赦なく残酷な死をもたらした……血も涙もないこの男を! 今まで王と崇めてこなければならなかった不幸を存分に嘆くがいい民衆よ! そして今日、我らは自由になるのだ!!」
民衆の歓声が、天を衝かんばかりに激しくなる。
この地響きのような大歓声を、となりにいるこのひとはきいているのだろうか。
もしくは、他愛もない戯れ言だと、きき流しているのだろうか。
異常な熱気のせいで、じっとりと汗がにじむ。
体にまとわりつく風が不快だと眉をひそめるけれど、ふと視界に入れたかのひとは、平生と変わらない無表情をしていた。
「むかし、」
がらがらと嗄れた老人のようなひと声が、歓声にわくその場所で奇妙な存在感をはなつ。
うつくしい銀色の目が、たれ下がった縄を見つめていた。
「むかし、ミザントロープに会ったことがある」
ミザントロープ。
つられるようにして呟くと、そう、と老人の声をしたそのひとはちいさく頷く。
「……ミザントロープ、とは“人間嫌い”という解釈でよろしいのですか?」
「そうだな、意味は多分、それで正しい。ただ私は、彼女のことをミザントロープと呼んでいた。それだけでもある」
渇いた声はしゃべりづらそうに響いているのに、本人はいまだ無表情だ。
さらりと風に揺られる瞳と同じ色をした髪が、きらきらと陽光を反射する。
「彼女は、人里から離れたところに住んでいた。彼女は、自身で猟をし食物を調達していた。彼女は、まじないの類が得意だった」
ぽつり、ぽつり、こぼされる言葉たちが、私の足元に積もっていく。
気狂いだと、悪魔だと、長い間蔑まれ畏怖されてきたこの残酷な王は、私に何を話すつもりなのだろう。
閃く銀色がまぶしくて、思わず目を細める。
「人は皆、彼女を魔女と呼んだ。人目を避けて暮らし、生き血を啜り、呪いを生業としていると、彼女を異端視した」
割れるような歓声のなかで、鮮明に聞こえるそのひとの声は、おそろしく透明だった。
何か言いたいことは、と問うたときのあの銀色を思い出す。
演説を続けるカーライル様が、一段と声を張り上げた。
「今思えば他愛ない、ただの勘違いから派生した噂に過ぎなかったのだけれど、人々はその時、彼女を魔女裁判に掛けた。裁判長は、私だった」
ざわり。頬を撫でるぬるい風が鬱陶しい。
同時に、何か得体の知れないものが背筋を這い上がってくるような、言い知れない不安を感じた。
そのひとの細い四肢が、やけにリアルに浮かびあがる。
「結果、彼女はこの広場で絞首刑に処された。今日の私と、同じように」
あのうつくしい銀色の目は見えない。代わりに揺れる髪を目で追って、手持ちぶさたに額の汗を拭う。
――このひとは、誰だ。
私は、何食わぬ顔で村をひとつ潰せと命令したこのひとを知っている。
私は、素知らぬ顔で貧困にあえぐ民を踏みにじったこのひとを知っている。
――あくま、
そう、確かにこのひとは悪魔だった。
残忍で狡猾、非情にして悪辣な本質を生まれながらに備えていたこのひとは、確かに私たちを苦しめる悪魔に過ぎなかったはずだ。
――けれど、いま目の前にいるこのひとは、
悪魔? ちがう。
あの閃く銀色が、細い手足が、生々しく訴えてくる。
これは、このひと、は。
――ただの、にんげん。
「最後に、何か言いたいことはあるかと問うた私に、彼女は何と言ったと思う」
革命は、独裁者という名の悪魔を殺し、自由を手に入れるためのものだ。
けれどもし、このひとがただのひとりの人間だというのなら。
―――私のやっていることは、果たして、ほんとうにただしいのか?
「彼女はね、こう云ったんだよ」
びくりと肩が跳ねた。
見えなかったはずのうつくしい銀色の目は、知らぬ間に私を見つめている。
のっぺりした無表情は、いつの間にか笑っていた。
「わたしは、にんげんがきらいだ」
ぶつり、音が途切れる。
歓声、演説、彼の昔話。すべてが一区切りをつけて、次へと動き出す。
あのひとはひどくゆったりとした足取りでたれ下がる縄へと近づいていった。
ちいさな台に足をかけたときに、ぎい、と頼りなげな音がひとつ。
「さあ、この大罪人に裁きの時を!!」
演説を終えたカーライル様が、群衆の歓声を催促する。
割れんばかりに轟くその大歓声のなか、落ちついた様子で首に縄をかけられるそのひとの後ろ姿は、確かに私たちの王であった。
長い間、悪魔と蔑まれ畏怖されてきた、残酷な私たちの王の姿であった。
(そして王は、ひとりのにんげん)
(革命とは所詮、ただの人殺しに過ぎないのだ)
熱気をはらんだ風に揺られながら、うつくしい銀色を生まれ持ったそのひとはわき立つ群衆を見つめている。
このひとが、ミザントロープの死に何を思ったのか、知ることは恐らくもうない。
革命の犠牲者として刑に処されるそのひとが、最後、誰に話しかけるでもなくこう呟いたのを、私は一生忘れないだろう。
「だから私も、人間がきらいだよ」
台が外されて、そのひとの四肢が空に放り出されるのは、その2秒後のこと。
20080309
20130905改訂(20200621再改訂)
ミザントロープによろしく