あるところに、それはそれは鼻の長い男がいた。

 30センチの定規で測ったらちょっとはみ出るくらいの長さの鼻だ。男は自分のそれはそれは長い鼻を誇りに思っていた。

 男は頭もわるいし非力だし醜男だったので、その長い鼻だけが唯一自分の好きな部分だった。

 

 ある日、男はいつものように日課である鼻磨きをしていた。清潔な布で丁寧にやさしく鼻を磨くのだ。きゅっきゅっと軽快に磨いていると、男はあることに気がついた。

 

 ―――なんと、鼻が欠けているではないか!

 

 男は慌てて鏡に駆け寄って鼻の先を覗いた。

 やはり、欠けている。30センチの定規で測ったらちょっとはみ出るくらいだった男の鼻は、今やちょうど30センチになっていた。

 男は、とても悲しんだ。大切にしていた自分の鼻が欠けてしまったなんて、どうにも信じたくなかった。

 なので、男は棚からあるものを引っ張り出した。それは瞬間接着剤だった。欠けてしまった鼻先にちょんと接着剤をくっ付けると、近くにあったパンくずをぎゅうぎゅうと詰めてやった。

 ほら、元通りだ。男はほっと息をついた。

 

 

 あくる日、男は朝起きて愕然とした。

 

 ―――また鼻が欠けているじゃないか!

 

 それも詰めていたパンくずが取れただけでなく、30センチはあった鼻が28センチになったのではと思われるほど、ぱきりと欠けてしまっていた。

 男は怖くなって、とにかく瞬間接着剤を取り出すと、鼻先に塗りつけてティッシュを丸めたのをぎゅうぎゅうと詰め込んだ。

 ほら、元通りだ。男はまたほっと息をついた。

 

 

 そのまた次の日、男は泣き叫んだ。

 

 ―――また鼻が欠けている!

 

 今度は28センチあった鼻が、25センチほどになっていた。

 男は瞬間接着剤を鼻先に塗りたくると、紙を丸めたのを詰めてぎゅうぎゅうと押し付けた。大切な鼻がこれ以上欠けてしまうなんて、男には耐えられなかった。

 そしてそれ以上に、今まで30センチの定規で測ったらちょっとはみ出るくらいだった男の鼻が、あろうことか、欠けて25センチになってしまったことを知られるのが耐えられなかった。

 明日は、友人の結婚パーティーだ。否応なしに人目に触れる場に出なければならない。鼻が欠けてしまったなんて、誰にも知られるわけにはいかなかった。

 

 

 

 

 翌日、男は白いスーツを着込んで家を出た。

 男の鼻は、朝見ると25センチが21センチになっていたが、すぐにあらかじめ買っておいた粘土をぎゅうぎゅうと詰めたので、元の30センチの定規よりちょっとはみ出るくらいのそれはそれは長い鼻に戻っていた。

 

 パーティーの会場につくや否や、男は友人のところに直行して、結婚のお祝いを述べた。

 友人は目を丸くして男の鼻を見つめたが、やがてうれしそうにありがとうと言った。友人の隣の花嫁にもお祝いを言うと、ええありがとう、と口にしたきり、すぐに目を逸らされた。その肩はかたかたと震えていた。

 

 男はそのあと、パーティー会場をぶらぶらした。

 男は自分のそれはそれは長い鼻を誇りに思っていたので、それを見せびらかすようにぴんと背筋を張って歩くのが癖だった。いつものように、そのようにして歩く。周りからは、くすくす、くすくす、と笑い声がしていた。

 

 それからしばらくすると、オーケストラの演奏に合わせてパーティーが始まった。

 友人と花嫁がきらきらと幸せそうに笑っている。くすくす、くすくす、と声がする。

 友人と目が合った。にこりと、やはり幸せそうに笑うのだった。

 花嫁がちらりと男を見た。花嫁は、またすぐに目を逸らして、かたかたと肩を震わせた。くすくす、くすくす。

 

 結婚する友人のために、男はメッセージを読むことになった。夜通し考えた祝いの言葉だった。

 男は招待客たちの前に出て、ぺこりとお辞儀をした。

 しかしその拍子に、ぼろりと、男のそれはそれは長い鼻に詰めていた粘土が転がり落ちた。

 それと同時に、21センチあったはずの鼻が新たに欠けて、16センチほどになってしまった。

 

 男は愕然として固まった。

 見ていた友人や招待客も、驚いて固まっていた。

 最初に声を発したのは、花嫁だった。

 

 ―――くすくす、くすくす。

 

 それにつられるようにして、招待客たちも。くすくす、くすくす。

 次第にそれは忍び笑いではなくなっていき、みんながげらげらと笑い出した。もう我慢できないという風に、腹を抱えて笑っていた。

 

 ―――あんな張りぼての鼻で現れるから、笑いを堪えるのが大変だったわ!

 

 そんな声も聞こえた。

 男は、欠けて落ちてしまった自分の鼻を見つめた。

 男は頭もわるいし非力だし醜男だったので、このそれはそれは長い鼻だけが唯一自分の好きな部分だった。

 

 げらげら、げらげら、笑い声に晒されながら、男は震えた。震えて、そのまま、叫んだ。

 

 

 ―――うあああああああああああああああ!!

 

 

 そして男は、泣き叫びながら自分の鼻を掴んだ。

 ずっと誇りに思っていたそれはそれは長い鼻を、男は最後に、自分の手でぼきりと折ってしまったのだった。

 

 

 

 

(すり減っていく自尊心の話)

 

20110120

20130905改訂(20200630再掲)

 

 

洋なしのこころ