すごいものを見てしまった。
同じクラスの寺内君は、眼鏡をかけている。
それも銀縁のやつだ。若いのに黒縁じゃないんだなあ。そんなことを思うわたしは、一体若さを何だと思っているんだろう。
寺内君はわたしの右斜め前の席の子だ。同じクラスになって以来、席替えの度に地味ーに近くの席だったりするのよ、なんてことは、まあ、多分向こうは全くと言って知らないんだろうけれど。
だからなんとなく抱いている親近感は、わたしの一方的なもの。まともに喋ったことは……正直、あんまりない。
そんな、近くて遠い寺内君のすごい秘密を、わたしはある日、知ってしまった。
「……」
「なに、安西さん」
「……」
「口開いてるけど」
「……」
「いや、だから何なのって」
日直になってしまったもんでめんどくさい細々とした用事が満載だったその日、不幸中の幸いというやつか、もう一人の日直は例の寺内君だった。
放課後の教室、わたしたちの他にも何人かの生徒がだらだらと居残っている中で、わたしと寺内君はひとつの机に向かい合って座っている。いつもは斜め前にいる姿しか拝めない寺内君が、事もあろうに真正面にいて、すらすらと日誌に何事か書き込んでいた。
わあ、字うまいんだなあ。そんなことをぼんやり考えながら、顔を上げる。
まさにその瞬間、寺内君の秘密がわたしの目の前をよぎっていった。
「……て、」
「て?」
「てててて寺内君!」
「なに?」
「さっ、魚が!」
「魚?」
「泳いでるよ!」
「………はあ?」
わたしは寺内君を指さした。
寺内君は眉間に皺を寄せて、訳が分からなそうに首を傾げている。そうしている間にも、あっほら、また!
「……ごめん、言ってる意味が分からないんだけど」
「うわあうわあ、すごい! 泳いでるよ! どうなってるのこれ!」
「安西さんも今どうなってるの」
「寺内君、水槽みたいね!」
「……ごめん、やっぱり意味が分からない」
本当に、水槽みたい。
じっと寺内君を覗き込むと、またひらりと影がよぎっていく。よく南国の海にいるような、色とりどりの熱帯魚の姿。
寺内君の目の奥には、何匹もの魚が泳いでいた。
まじまじと見れば見るほど、奇想天外、摩訶不思議。人の目に魚が住んでいるなんて!
「安西さん、顔、近い」
「ごめん!」
「謝るなら離れて」
「ごめん!」
「いや、だからさ……」
注目の的になってるんだってば、と言う寺内君の声は、半分も脳を通さずに右の耳から左の耳へと通過していった。
だって、こんなのってすごいじゃない。何がどうなってこんな風になっているんだろう。気になる。寺内君、君のその目は水槽なのかい? それとも、サイズ的に頭まるごと水槽なのかい?
疑問は募っていくけど、今はただこのすごい事実に感動するばかりで、寺内君の目の奥で悠然と泳いでいる魚たちも、ひらひらとその身をしならせるばかりだ。
「……あの、安西さん……」
「あっ、そうだ寺内君!」
「わっ」
「安心していいからね!」
「……え、何を?」
「わたし、このこと誰にも言わないから!」
「……それはどの事?」
「みんなに知られたら見世物みたいになっちゃうかもしれないもんね……でも大丈夫よ! わたし口堅いから!」
「いや、だからどの事?」
「その代わり、あのっ……いやその代わりって言ったらアレだけど……」
どうしよう、わたし、今ものすごくどきどきしている。
あんまり話したことのなかった寺内君の、すごい秘密。目の奥に魚がいる。気付いたのはわたしだけ?
ああどうしよう、すごく気になる! いろんなことを聞いてみたい!
ねえねえ、寺内君!
「わたしと(その目の奥にいる魚について談義したいので今度お茶にでも)付き合ってくれませんか!!」
──ん?
なんか今いろいろと言わなきゃいけない言葉をすっ飛ばしたような気がする。
けど、まあいいか。
とにかく、わたしがすぱーんと言い放つと、いつの間にかわたしたちの様子を注視していたらしい教室に居残った数人の生徒たちが、ごくり……と音でもしそうな感じに固唾を飲んで見守り始めた。
寺内君は、それこそ豆鉄砲を食らったように目をまるく見開いている。もぞりと体を動かした拍子に、銀縁眼鏡が蛍光灯の光をちかっと反射して、一瞬、魚が見えなくなった。あっ。
「別に、いいけど」
答えた寺内君は、まだ唖然としたまま、こっくりと頷く。
わたしたちを見守っていたギャラリーはその返事を皮切りに、一斉に「ひゅーひゅー!」だとか「アツイねえ、お二人さん!」だとか、古くさく囃し立て始めた。昭和か。
かく言うわたしは、うれしくて飛び上がってしまいそうな体を必死に抑えて、にっこりと笑う。そうしてもう一度、寺内君を覗き込んだ。
それを恥ずかしがるように、寺内君の目の奥の魚は、ひらり、と尾びれを翻して逃げていった。
20110314
20200831再掲
踊る熱帯魚